さとくんの思想の一脈をなす=生産性のないものを排除する=
それは正当とされえます。
「あらゆることにムダを省く」
これも正当とされえます。
「すべてのものにムダはない」
この矛盾しかねない観念を抱>>続きを読む
「映画には確固とした物語は必要ない」---マイケル・チミノ
「映画とは撮影された演劇ではない」---スタンリー・キューブリック
これらの言葉は同じ意義を内包している。
これを実践したのが、マイケル>>続きを読む
一言で表現すると、
「裏切られ」ました
僕は完全洋画派です。
日本映画も、黒澤明か大島渚か山田洋次しか観ないくらいです。
映画が始まって暫くは、またベタだなと構えていました。
しかし、第一幕から>>続きを読む
「沈黙」と「乱」の相互関係
スコセッシ「沈黙」において、
人々が苦しむにも関わらず、どうして神は沈黙しているのか。
そのように捉えがちだが、私はそこに解釈の齟齬を感じる。
沈黙しているのは神なのであ>>続きを読む
常に人間を描いているかどうかでレビューを記してきたが、今回は難しい。
キューブリックは恐らく人間に焦点を合わさずに創り込んでいる。焦点が弛い。人間の深奥の描写よりも、むしろ犯罪の計画と実行その結果の>>続きを読む
「美、人はそれに酔う」
美の象徴は、デヴィッド・ボウイ。まさにカリスマそのものである。
醜の象徴は、日本軍である。
果たして、美は醜の中で如何ようになっていくのか?
まるでそれを検証するかのよ>>続きを読む
「美、人はそれに酔う」
美の象徴は、デヴィッド・ボウイ。まさにカリスマそのものである。
醜の象徴は、日本軍である。
果たして、美は醜の中で如何ようになっていくのか?
まるでそれを検証するかのよ>>続きを読む
この作品には、逆三角形が存在する。
まるで「両親」が並び、その下に「子」がいるように。
この場合の「子」とは、主人公クリス・テイラーである。そして、「両親」とはバーンズとエリアスである。
バーン>>続きを読む
この作品は、問いかける。
①あなたは「成功」したいですか?
②どのようにして「成功」するのですか?
それに、加える。
③どうして「成功」できたのですか?
これらの問いに正解はあるのであ>>続きを読む
「映画には確固とした物語は必要ない」---マイケル・チミノ
「映画とは撮影された演劇ではない」---スタンリー・キューブリック
これらの言葉は同じ意義を内包している。
これを実践したのが、マイケル>>続きを読む
この作品もまたスコセッシの刻印が深く彫り込まれて入る。
それは「罪」と「贖い」である。つまり、「贖罪」といえる。
ここではビリヤードはただのツールでしかない。
物語は、本質的に「堕落」した男が純>>続きを読む
この作品はスコセッシの刻印が深く、明らかに垣間見える。
「罪」と「贖い」の物語の深奥に。
主題は、まさに「妄想」である。自らの「タクシードライバー」と同じく。
ボクシングの様式を用いた「暴力」と>>続きを読む
これは素晴らしい作品です。
人間存在の根源まで追究する姿勢で創造されています。
罪の定義や償いの意義を描き、憎しみの本質や究極的なまでの愛の発露という「神秘」を観る者の前に提起します。
たいへん>>続きを読む
この作品では〈イエス・キリスト〉は常人として現れる。
けれども、〈イエス〉は本当に常人であるのであろうか。
〈イエス〉は常人としての苦悩を背負い彷徨する。
〈イエス〉は常人として生きる中で悟るの>>続きを読む
この作品はまさにスコセッシの真骨頂です。
スコセッシがもつ映像技術のオンパレードともいうべき駆使を尽くした作品です。
ドキュメンタリー・タッチを貫きながらも、スコセッシは自らの少年時代からよく知る>>続きを読む
「もしも力が正しいのなら、この世に愛は必要ない」
このガブリエル神父の言葉が、作品の主題を軸として貫いている。
ただ一文が2時間の映画を象徴とするのである。
「力」を行使するのは、ロドリゴ・メ>>続きを読む
物体X("The Thing" [原題])とは、「宇宙」から来たのではなく、全ての人間一人一人の「心」から来たのではないであろうか。
その「心」の〈善悪〉によって、人間は「肉体」も「変異」する、と>>続きを読む
『天国の日々』は完璧である。少なくとも、テレンス・マリックの監督作品群の中で。
作品の全長は93分であり、見事な均衡を保ちながら屹立している。つまり、全体が30分・30分・30分という三幕劇作法>>続きを読む
地球の起源(生命の発露)から現代までの進化の軌跡描く。それに重ねるかの如くに、息子が父親を超え(成人し)人間としての第一歩を踏み出し始めることを暗喩として並行していく。
その根底には、生あるもの>>続きを読む
この作品は発想が神の概念を人間を通して追究し、その過程を観客の判断に委ね、ラストに強烈な生と死の狭間を垣間見せるという離れ業を見事に成し遂げています。そこに人類の進化の予兆を提示しながら。
リュック・ベッソンは、ジャンヌ・ダルクをある意味において「芸術家」と捉えていると思います。
何故なら、ジャンヌは、視えないものを視て、聴こえないものを聴きます。加えて、その「幻覚」を「現実」として認>>続きを読む