「美、人はそれに酔う」
美の象徴は、デヴィッド・ボウイ。まさにカリスマそのものである。
醜の象徴は、日本軍である。
果たして、美は醜の中で如何ようになっていくのか?
まるでそれを検証するかのように物語は牽引されていく。そして、当然の帰結を迎える。
美は儚い。
ボウイは異地に降り立った美の化身である。唯一無二の存在であるがゆえに、人々を酔わす。が、酔いはいつか醒める。そのとき、人々は別の快楽に酔う。暴力である。その対象は言うまでもない。無力であり味方すらなき孤独の存在である。人々が酔う。美は天に召されるのである。
美に憧れ、美を愛する坂本龍一は、ただ見つめることしかできない。何故なら、彼は美に心を奪われているから。だから、何かを為すことすらできない。じっと凝視する。カリスマを。
「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス!」
果たして誰が「メリー・クリスマス」の対象であるのであろうか。誰がクリスマス・イヴの対象なのであろうか。
その人は、そのカリスマゆえに死ななければならなかった。暴力を受けた末に。
この作品のラストシーンは当然の収斂の末に現れる。
北野武は言う。
「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス!」
しかし、彼は気づいているであろうか。
誰がその人であるのか。
誰がそのカリスマであるのか。
クリストファー・ノーランは、この作品で「ボウイのカリスマが確立した」とコメントしている。
僕にも何ら異議はない。