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街の上での月のレビュー・感想・評価

街の上で(2019年製作の映画)
4.9
知らない人たちの知ったこっちゃない日常。
なのにどうしてこんなに愛おしく、大切な存在になっていくんだろう。
「私の観たかったシーン」はすべて、ここに存在していた気がします。

古着屋と古本屋と自主映画と恋人と友達。
うまくいった人といかなかった人。
下北沢の街の上で、彼らの日常と少しの非日常が、ユーモアと優しさに包まれながら紡がれていく。


【無駄】
今泉監督、今作を最後に死ぬのかなってくらいの、集大成たる群像劇でした。
彼ほどに「無駄」を愛する監督、というか人間はいません。
今作、展開らしい展開といえば、主人公の青が自主映画の出演を依頼されるくらいしかありません。
他のシーンはといえば、警察に姪の話を聞かされたり、バーで倒れる知り合いをなだめたり、部屋で一緒にシーツを広げたりと、「無駄」なシーンばかり。
しかもそれらはしばしば長回しで、二人が恋バナしているのを10分間眺めるだけなんてことも。
でもふと好きなシーンを思い返すと、それらのどうでもいい「無駄」な日常ばかりなんです。

そもそも今泉監督にとっての映画とは、誰も見ていなかった、誰も見る必要のなかった時間や空間、言葉を掬い取り、価値を与える試みなのだと思います。
スクリーンに向かう我々に今泉監督が授ける眼差しは、現実のそれと最も近い。
派手な演出やアクションはありません。
しかしだからこそ、そこに映る街や人の愛おしさが際立つ。
10分前は退屈だったバーが、今ではこんなに心地良い。
10分前はなんとも思っていなかった彼女が、今ではこんなに愛おしい。
“その”時間と空間を「私」が生きることで、そのシーンは「私」の思い出となっていました。


【恋】
今回、メインキャスト5人の演技は本当に素晴らしすぎました。
バラバラなのに、みんな好きになってしまう。
5回も恋してしまう。

成田凌に引けを取らないオーラと、全てを正解にしてくれる笑顔をくれた穂志もえか。
一番純粋で真っ直ぐで、だけど一番不器用で。一番人間らしく感情を放出してみせた古川琴音。
「好き」の発生とその移ろいを、直接の表現なくして体現してみせた萩原みのり。
彼女たちに受身的に翻弄されながらも、その全員に対して多面的な魅力を感じ取らせる難しい立ち回りをこなした若葉竜也。

しかし、彼らをも圧倒する存在感をみせたのが、中田青渚演じるイハでした。
キモいのを承知で言いますが、スクリーンの中の女の子に本気で恋したのは初めてです。
飾らず、健気で、でも弱くて、懐くとすごく可愛くて。
僕が若葉竜也演じる青に憑依するのに、10分はかかりませんでした。
その10分間と少し、僕は青として生きる永遠を望んでしまっていました。

「おはよう、生きとったな」

明日、部屋に差し込む暖かい光のもとに、彼女を探してしまう気がします。


振り返るすべてのシーンが、自分の思い出なんかよりずっと懐かしくて恋しくて。
「無駄」だらけに思えた群像劇が、すべて一つの大切な思い出として記憶されていて。
流れるエンドロールの向こうで、「街の人」たちが存在し続けているような気がしました。

映画館を出た街は、鑑賞前に見ていたそれより優しく、しかし寂しくも感じられました。

タバコを吸えない僕は、チョコより苦いチーズケーキで寂しさを紛らわしながら、お茶を注いでくれる彼女を待ってしまうのでした。
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