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グリーン・ナイトのSPNminacoのレビュー・感想・評価

グリーン・ナイト(2021年製作の映画)
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いや、だって王と王妃から明らかにプレッシャー感じるじゃないですか、その場の空気もあるしまあゲームだっていうし多少見栄もあって、だから思い切ってみたんですけど、緑の騎士を倒せたのはいいものの、嫌な予感したんですよ。案の定1年後に緑の礼拝堂行く約束だろって蒸し返されて、えっガチかよ?と後悔しても今更もう引くに引けないっていうか、恋人に未練残して出かけるしかなくなっちゃって…てか、どうも母さんは裏で糸引いてた気もするんだよね…(ガウェインくん心の声)。
動物たちが動き回る小屋の背景で火が上がり、そこからカメラが引いた窓の中に登場するガウェイン。そのまま彼が移動するセットや時間の構造も入れ子のようで、即ちそれは物語のレイヤーを思わせる。ガウェインは予め物語の枠内にいて、人形劇よろしく伝説の冒険譚というゲームから逃れられないのだ。彼は物語を作るのではなく、語らされる。恐ろしく妖しい旅の物語を。
森で妖精のような悪魔(ときたらバリー・コーガン!)に捕まり、首なしゴーストや狐や巨人と出会い、やけにフレンドリーな領主(騎士道物語から逸脱した男)と美しき夫人に誘われ、導かれていくガウェイン。全ては交換条件。奪う男、授ける女。主人公は受け身で問いに対する答えもない。お守りである緑の腰布はガウェインの運命を縛りもする。回廊のアーチの下で立ち止まるショットが印象的。
緑の騎士との約束が名誉や地位と引き換えに人間性を奪い、また時間と場所の複数レイヤー内で展開する暗黒のクリスマス・キャロル的物語が見事だった。行きて帰りし物語は、語り手が身を任せた方向へ進む。そして語るべき言葉を持たなかったガウェインがようやく自分の物語を見つけたとき、旅は終わる。もとは14世紀の叙事詩とはいえ、かように青春はあてのない自分探し旅で、緑の騎士は父親的存在、父殺しの通過儀礼に思われた。
これがテリー・ギリアムならナンセンスで装飾過剰になりそうだが、デヴィッド・ロウリーはコントラストが際立つ色彩と幽玄な情景ロケーション(緑といえばやっぱりロケ地アイルランド)による残酷で美しい絵巻物だ。デヴ・パテルがとてもセクシーに撮られてるが、華々しい活躍はなく苦い笑みを浮かべるだけの無常感。そしてしっかり恐ろしい、これも亡者が彷徨うゴースト・ストーリー。
エンドロール後のカットが好き。名誉や権力を授けるでもなく授かるでもない。遊び事は遊び事。自分の手で好きに遊べばよい。女の子にはそれができる。
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