CHEBUNBUN

ストレンジ・リトル・キャットのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

5.0
【キャッチボールにもドッジボールにもならない空間で。】
12/10(土)に菊川にできた映画館Strangerで企画「Gucchi’s Free School × DVD&動画配信でーた 現代未公開映画特集」が行われる。そこで上映される『ストレンジ・リトル・キャット』をトークショーする関係で一足早く鑑賞しました。

陽光差し込む中、家族がひしめき合いながら言葉のボールを投げる。しかし、あまり視線が合うことはなく、あったとしても力のない言葉のやりとりがなされる。そんな家族の姿をネコ、イヌ、コドモの眼差しが捉える。本作はキャッチボールにもドッジボールにもならない冷たき家族の肖像を暴いた作品である。『ガール・アンド・スパイダー』が狭い部屋の中で眼差しの銃撃戦を展開する作品だったのに対し、こちらは球技である。子どもの投げるお手玉が部屋に入り込む、停電が起きるなどといった決定的な瞬間があれども、それがトリガーとなって親密さが深まることはない。この映画において、最も登場人物と親密な関係を結ぶのは我々「観客」なのだ。その証拠に、みかんのエピソードを語る女の場面がある。彼女は回想シーンで、みかんの皮を投げると白い面が上になるというマーフィーの法則のようなエピソードを語る。その直後に現在パートで同様の実践をする。実際に白い面が上になっている様子はここでは示されない。しかし、観客は「そういうもの」だと思わず受け入れる。映画としても、中盤に生活の面影を並べるショットの中にみかんの皮が散乱している様子を捉えることで、彼女の話に寄り添う。映画というのは、誰かの人生に寄り添うものであり、例え家族が親密そうに見えて冷たいやりとりをしていたとしても、カメラと観客は彼ら/彼女らに迫っていることをメタ的に描いていると言えるのだ。

監督のラモン・チュルヒャーは、ビデオアートや実験映画を学んでいた人物。学生時代に彼はフルクサスのワークショップを開き、「オレンジをリンゴのように食べろ」、「窓から手を出す」などといったメモをもとに即興で演技をした。フルクサスとは1960~70年代に発生した前衛芸術運動であり、その中に「イベント」という考え方がある。これはシナリオ(スコア)に基づいた行為を行うことで、日常の何気ない運動に芸術性を見出す発想である。『ストレンジ・リトル・キャット』、『ガール・アンド・スパイダー』に影響を与えているといえる。どちらの作品も、家族生活の一場面を脚本やコントロールされた動線に従って演出する。前者は、キャッチボールでもドッジボールでもない言葉のやりとり、後者は部屋に残されていく誰かが生きた証にフォーカスが当たる作品に仕上がっている。

また、タル・ベーラのワークショップでの経験も活かされている。彼のワークショップでフランツ・カフカ「変身」を扱うことになった彼は時間の跳躍があまりない演出を行おうとした。その際に、タル・ベーラはシャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を観るよう彼に薦め、平面的な画で考える方法を伝授した。その中でラモン・チュルヒャーは、より抽象的でリアルな画を作るために「角度をつけた撮影方法」を見出した。タル・ベーラは、フルクサスに魅了された彼の特性を見抜いて『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を薦めたのか?たまたまなのかは分からないが、フルクサスと『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に出会ったことで彼のスタイルが確立されたといっても過言ではないだろう。

ラモン・チュルヒャー監督はcineuropaのインタビューで次回作『The Sparrow and the Chimney』について語っている。前2作は静的カメラワークだったのに対し、次回作ではドリー等でカメラを動かした撮影に挑戦したいとのこと。これは楽しみである。
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