ベビーパウダー山崎

ストレンジ・リトル・キャットのベビーパウダー山崎のレビュー・感想・評価

4.0
家族も友達も知り合いも結局は個の集まり、自分が見渡せる範囲の出来事が狭いスペース(部屋)でどうしようもなく触れ合うので私たちは絶え間なく話し続けるしかない。会話や対話というより、私がいまこの場所にいる意味存在をあえて空っぽな言葉で紡ぎながら己で確認している。
離れて暮らす家族や親戚がやって来て夕食をとる、それだけの80分弱。だからといって劇的な結末のために何かが蠢くという話でもなく、その場その時間で描かれる過程こそがすべて。もちろん、そこから見えてくるのは繋がりより断絶や孤独。感情はそれほど表に出さない、怒りや悲しみが描かれない代わりに笑いや驚きでネガティブな暗い影を覆い隠している。善意で抱きしめ合う関係でもないのでちょっとした悪意や嘘やいたずら心が何食わぬ顔で通りすぎていく。狂ったように叫ぶ娘の度が過ぎれば母が引っ叩いて黙らせる。叩かれた娘は泣いたり不貞腐れたりもしない。ただニヤけながら更に弱い立場である犬のボールを隠したりもする。つまりここには階層がある。上がいて下がいる。妬みや嘲りがある。横の繋がりであるはずの家族も置かれた状況によって各々態度が微妙に変化している。これがリアルだとかそんなのはどうでもいい。ひとり台所で佇む母の表情がラスト。繰り返される日常と共にこの家(家族という枠組み)から離れられない者の途方もない虚無。
猫がいて犬がいる。蛾も飛んでいた。ひっきりなしに多くの登場人物が部屋を出入りする。画面が捉えている人物の行動とそのフレーム外から聞こえてくるまた別の会話。窮屈さに詰め込む情報量はやたら多いが伝え方が知的に整理整頓されているので引き込まれる、ドミノ倒しというより家にあるものを寄せ集めて創作したピタゴラスイッチの快楽が興奮がここには確かにある。
映したいキメキメの画も表面上の関係性で個を深めていく「作業」も同じだが、更に欲望に忠実になり人物もごちゃごちゃしていく『ガール・アンド・スパイダー』も必見。一作、二作と独自の手法で閉じた世界はますます混沌としていく。チャルヒャー兄弟の新しい何かを生み出そうとしている誠実な姿勢、追っていく価値は十分にある作家。