TIFF2019鑑賞作品2本目。
鑑賞後に監督・主演参加のQ&Aセッションもありました。
空っぽな「器」でしかないティーンエイジャーに降りかかる「宗教」の迷い。
タイトルからめちゃくちゃうるさい映画なんかなーなんて思ってたら、なんと真逆の環境音のみ劇伴一切なしという作品。
それこそ初っ端は競技ダンス大会の発表曲がかかったときには「よっしゃあ来たねえこういう曲ねえ^^」なんて思っていたけれども、この作品の深淵に触れ始めるとともに静かになっていった。
新しきを取り入れすぎてハッキリと金儲けが目的になってしまったメガチャーチ。
それに反抗するように古くを残して過激化したカルト。
そのどちらにもみえる「疑う」、転じて「考える」ことを放棄した"ヒト"たちのさま。
そういった「問い」を前面に出す作品なので、説法がめちゃくちゃ多い。
メガチャーチの至るところで流れる父の説法、家族で見るテレビも説法、ミリアムがベッドで寝転がって聴くのも説法。
なので眠いときに見てはいけない(戒め)
でも展開的に割とガッツリ聞き流せるようなものでもないのが困ったところ。
メガチャーチ以外の他のシーンが静かな分、この作品の華やかさ(監督曰く「俗世の象徴」)を担う競技ダンスのカメラワークはもっと工夫してほしかった。
ただ競技者を追うだけで工夫が無く、母親のハンディカムを想定しているのかと思ったらそうでもないのでとても中途半端。
あの映画を想起させる(来年公開なのにもう想起しちゃう)「白い怖さ」は北欧の特徴なのだろうか。
宗教色が薄い人間が多いこの日本に住んでいるぶん、
この作品中のメガチャーチにどれだけの人が心酔しているのか、叔父のオカルト番組がどの規模で放送されているのか。
といった部分で我々の宗教に対するポジションからどこまでの乖離がある環境に主人公がいるのか、ノルウェーでは彼ら彼女らがメジャーなのか。
最後まで釈然とせず乗り切れない気持ちが大きかった。
まあそれは些細なことで。とにかく
「留まっても地獄、行っても地獄」
な耐えがたい環境に心置きなくドン引きしましょう。