ナガエ

約束の宇宙(そら)のナガエのレビュー・感想・評価

約束の宇宙(そら)(2019年製作の映画)
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この映画のようなことが、日常になるような未来が、来てもおかしくはないのだろうな、と思う。

具体的にイメージはできないが、おそらく遠くない将来、人類は火星に進出するだろう。全人類が移住、とはならないかもしれないが、火星で暮らす人類が一定数存在するような未来は、思ったほどは遠くないかもしれない。

地球と火星の距離は、ものすごいものだ。約7500万キロメートル。月までの距離が約38万キロメートルなので、約200倍の距離だ。片道2年以上も掛かるという。

火星までに掛かる時間は、技術革新によってもっと短くなる可能性もあるだろうが、それでも、かなり遠いことは間違いない。そして、その天体間を、人類は行き来する時代が来るだろう。

そんな時代になっていれば、おそらく今よりももっと技術が進化しているだろう。遠く離れた人と、バーチャルの世界で、触覚も含めたコミュニケーションが取れる時代になっているかもしれない。だとすれば、この映画で描かれている「断絶」と、また違った世界だろう。

世界的なパンデミックによって、他人と会うことが制限されている今、それまでの技術的進歩と社会の変化が合致し、オンライン上で様々な物事が完結する時代が急加速したと言っていい。それは、環境や資源など様々な問題を抱える人類全体にとっては、良い方向だと言っていいだろう。

しかし、こんな時代だからこそ余計に、「誰かと直接会うこと」の重要性もまた、再認識されているように思う。誰にも会わずに多くのことを済ませることが出来る時代になったからこそ余計に、「会う」ことの価値が凝縮されている、と言ってもいいかもしれない。

【難しいのは、帰還後のことだ。俺たち無しで、生活が回っている】

主人公と同じクルーである宇宙飛行士から、こんな風に声を掛けられる場面がある。少なくとも、現在地球上に存在する技術では、物理的に距離が離れている人は、どれだけオンライン上でやり取りを続けようが、「そこにいない人」と扱われる。まあ、それは真っ当な感覚だろう。未来は、技術の変化によって、物理的に距離が離れていても「そこにいる人」と扱われる時代になるかもしれない。そうなれば、直接会うことの価値はほとんど無くなると言っていいだろう。

そして、仮にそういう時代になったとしても、古臭くも僕は、「誰かと直接会うこと」に価値を抱く人間でありたい、と思った。

内容に入ろうと思います。
離婚し、一児の母となったサラは、8歳の頃からの夢だった宇宙飛行士の切符をついに手に入れた。しかし、まだ幼い娘・ステラをどうするかが問題だ。別れた夫に託すことになるのだが、娘は失読症や計算障害などがあり、学校などでもあまり友達を作るのが得意じゃない。元夫の元で暮らすとなれば転校しなければならないし、サラはミッションに参加すれば1年は地球に戻ってくることができない。
夢だった宇宙飛行士を諦めるつもりはない。しかし、娘との時間や関係も大切にしたい。日々の過酷な訓練に娘と離れ離れになる苦痛。サラは苦しむ。

【完璧な宇宙飛行士はいない。完璧な母親がいないのと同じように】

凄く良かった、というのではないのだけど、普通に良い映画でした。ステラが良かったなぁ。ただでさえシングルマザーで母親に甘えたいだろうし、勉強(特に算数)が苦手で学校でも上手くやれない。多少なりとも他の関係性は描かれるとはいえ、ステラは基本的に母親としか濃密な関係を築けていない。そういう中にあって、母親と1年も会えないことが決まる。ステラはもちろん、母親が宇宙飛行士であることは誇らしく感じている。しかしだからと言って、母親に会えない時間を許容できるわけでもない。

そんな幼い少女の葛藤みたいなものを、セリフの数こそ少ないものの、振る舞いや表情などで絶妙に見せる彼女は、映画全体を引き締めるような役割だったと感じます。

全体的には良かったと思うんですけど、僕は、最後のサラの選択は、ちょっと許容できないなぁ、と感じました。これは、ネタバレになるから、詳しい状況を書かないままで説明するのだけど、どれだけそう望んだとしても、その選択は他者の生命を奪いかねないほど危険なものだと僕は感じます。もちろん、彼女自身もそのことは理解していて、それが伝わる描写も挿入されますが、だとしても、彼女のあの行動は許されてはいけないでしょう。物語としては感動の場面だと思うし、確かにそれまでの彼女たちの関係性の中でサラがああしたかったことは理解できるけども、それでもあの場面は、「母」としてではなく「エンジニア(あるいは科学者)」として行動すべきだったよなぁ、と感じてしまいました。

あと、考えてみたこともなかったのが、生理の話。医者から「生理を止めるか?」と聞かれて、そもそも「生理って止められるものなのか」と思ったのだけど、止めないという決断をしたサラに対して、「タンポンを用意しておく。持ち込める私物が減るぞ」と言うんですね。宇宙船って、厳密な重量管理が必要だから、この規定自体は仕方ないと思うんだけど、そうか女性というのはこういう肉体的な部分で不利になってしまうのだなぁ、と改めて感じさせられました。

エンドロールでは、これまで宇宙に関するなんらかのミッションや宇宙飛行を成し遂げた女性たちが映し出されます。この物語はフィクションだけれども、現実を映し出してもいるのだ、ということでしょう。
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