モモモ

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのモモモのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

「エンドゲーム」の様なお祭りを再度体感できるのは何年後だろうか…との思案に強烈な飛び膝蹴りを叩き込んでくる「スパイダーマン」最新作。
高まり切ってしまった期待値を超えたり超えなかったり、感情が落ち着いたり落ち着かなかったり、とにかく二度と同じ事は出来ない、MCUだから、ヒーロー映画全盛期だから、スパイダーマンだから出来た奇跡の映画には違いない。
「夢でも見ているのだろうか」が詰まり過ぎて面白かったのかすら曖昧な、正に夢見心地な気持ちで劇場を出てきた。
前述した様に度重なるリークや予告編での匂わせで期待値を上げまくった弊害か、個人的には「予想外」な事は1つ…いや2つしか起きなかったのだが(2つ起きれば十分だろうという気もするが)それでも抜群の面白さである事には変わりない、期待に応えてみせる最高の映画だった。
ロキで用いられた「変異体」なのだろうな…と思っていたら、ど直球の「皆が知っている彼ら」だったのがこの映画を語る上での全てだろう。
ワンダビジョンでは透かした展開をしていたが、満を辞して、今、全てが繋がったのだ。
彼らの「その後」の断片を見れただけでも僕は満開の思いだ。
「自分達の世界」では全てを救えなかった者達が、救われなかった者達が、救われ、救う物語。
スパイダーマンのヴィランは基本的に「根っからの悪人」はいない。
不本意に悪になった者、制御出来なくなった者。
彼らを倒すのではなく、彼らを治そう、彼らを今一度救おうとする科学っ子ピーター・パーカーの物語。
昔は叶わなかったが、今なら、超人が溢れていて、宇宙の生命が半分消えて、マルチバースが存在する、今の時代なら彼らを救う事が出来る。
正常に戻ったドクオック、力にしがみ付こうとするエレクトロ、そして立ちはだかるゴブリン。
これが見たかった、こんな姿を夢に見ていた。
肉弾戦でスパイディを圧倒してみせるゴブリンの姿に惚れ惚れしていたら「あのグライダー」で悪夢が起こる。未遂に終わり自滅した「あのグライダー」が今度は悪夢を成就させる。
ベンおじさんの代わりがトニー・スタークの死なのかと思っていたが、MCUはピーターを更に追い込む。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
何度も聞いたこの台詞に今一度心の底から耳を傾ける。
「お祭り映画」の本作で、個人的に最も心掴まれたのは「お祭りの後」の堅実で圧倒的な展開と演出の数々だ。
3部作の締め括りがここまで寂しく、静かな物だとは。
「ONE MORE DAY」をやるのか…やったら本当にそれで…なんて不安は何処へ。
全てを失ったピーターが辿り着くのはボロアパートと自作のコスチューム。
若々しい叔母がいて、経済的にも困っていなさそうで、スタークからの保護も受けていた、あのMCUのピーター・パーカーが「僕たちが知っているスパイダーマン」に立ち返る。
次作コスチュームのあの既視感がある色合いに涙が流れた。
3部作を持って、ピーターは全てを失い「大いなる責任」を学び、振り出しに戻ってきた。
ここから真の「スパイダーマン」の物語が始まるのだ。
物寂しい雪景色の中を飛び交うスパイダーマンに淡い期待を抱いた、最高のラストショット。
最高のスパイダーマン映画、最高のエンドゲーム後MCU映画、そして最高のクリスマス映画を、ありがとう。
そしてこんな映画を1月公開にしたソニーに呪詛あれ。
特にサラッと「マルチバースでもなんでもなく良く似た見た目の別人」として合流したデアデビルなんて、先週のホークアイでのキングピンとのセットでの驚きでしょう???
ソニー、お前が憎い。
モモモ

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