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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのNORIDARのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

ここまでのお祭りが見られるとは…
今後一生味わえない感覚だろうな。
一言で言うとヒーロー大集合ものなんだけど、スパイダーマンとしてのキャラクターと世界観がなければ確実に行えない特別な作品である事は間違いなし。

スパイダーマンの特徴(テーマ)として
1.青春グラフィティヒーロー
2.大いなる力には大いなる責任が伴う
3.2を踏まえヴィランは大いなる責任を失ったスパイダーマン

であると思ってるのだが、トムホスパイディは親しみやすい等身大高校生という存在がヒーローになったらどうなるかという1の要素を大きく楽しむ存在だった。
今作で交わされた会話の"大学への問い合わせすら分からない"というセリフでもわかるように、彼は大人の世界を何も知らない子供なのだ。そんな彼が今作で初めてニューヨーク市民を守るヒーローであると自覚させられる、大いなる力には大いなる責任が伴うという言葉と彼の分身達によって。

子供の頃にスパイダーマンと出会った世代でずっと活躍を見てきた世代にとってはやはりそれぞれの時代で活躍した御三方が並んだ姿にはどんな作品になっていようとも昂らずにはいられない。

個人的にはベンおじさんのくだりはやっぱり必要じゃないの?と思ってたので今作のセリフにはやっぱりグッとくるものがあった。やっぱスパイダーマンにはこの言葉が必要だよ。もうここでボロボロ泣きます…悲しいけどこれが見たかったよ。

彼にとって唯一Do the light thingと語りかける真面な大人を失ってしまうという非情さたるや。そればかりか物語のラストでは"大いなる責任"の呪縛により全ての心の支えを奪われジャングルに放り出される悪魔的教育。自身で決めたこととはいえ、ここまでやりますか。。。本当に切なくもスパイダーマンらしい終わり方。

映画の全てのスパイディ、孤独の中俺は戦い続けるという信念を持ったヒーロー。サムライミが生み出したダークマンから始まったこの意志をトムホスパイディが受け継ぐなんてと考えると涙が出る…これこそ真のホームカミングだよ。
ダークマンのラスト、"誰でもあり、誰でもない。どこにでもいて、どこにもいない。"
まさに今作のラストそのものじゃないか!


まあただ今作の"大いなる力には大いなる責任が伴う"という言葉には些か疑問も。
これ、大いなる失敗には大いなる責任が伴うっていう、経営理念みたいな話になってないか?
というかトムホ三部作が全部そうなのか。
毎回トムホスパイディは大人の無責任さと自身の稚拙な自爆展開によって振り回されてばっかりで、今作もまさにそれ。
トニースタークが死んで成長したかと思いきや、やってる事全く変わってないじゃん!
そして無責任スタークの代わりに今回はストレンジおじさんに変わっただけで、必要なキャラクター達はオールリセット。
大いなる力には大いなる責任があると言ってやりたいのはお前だよドクター!!!!
てか本当に酷すぎて次回作の見方が変わるレベル。自身の失敗は棚に上げてスパイディは忘却の彼方て、ここまで汚いヒーローは俺は知らないよ。トニースタークも最低だったけどこの人はそれ以上。
でも劇中でMJがストレンジ批判を語るシーンで分かるように、監督の意図した部分である訳で。つまり監督自ら大人の汚さと酷さを存分に描いてるって事。だから1から伺えるトニースタークの無責任ぷりも理解してやってる。
なんちゅう監督なんや……。

あとヴィラン軍団の唐突な心境の変化だったり、こいつらあんまり意味ないんじゃね?感は否めないかな。本当にお祭り要素でしかないというか、まあそれはそれで良いんだけど、泣かせ描写とのバランスがあんまり良くないよね。。。

ロキのTVシリーズを観てもあまり理解できなかったマルチバースだけど、今後複雑すぎてついていけるかしら…

思うところは色々あるけれどお祭り映画としては本当に感動したし、こんなにも高揚する機会って稀だし今後の映画では味わえない体験。
映画館でスーツを着たマグワイアに出会えたことに本当に感謝。
NORIDAR

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