【人間を見つめる】
※スイス・ ロカルノ国際映画祭の2019年最高賞・金豹賞受賞作品。
ロカルノ国際映画祭は、濱口竜介監督の映画「ハッピーアワー」のアマチュア主演女優四人(川村りら、三原麻衣子、菊池葉月、田中幸恵)が最優秀主演女優賞を獲得したことで話題になった映画祭だ。
舞台装置をほとんど排除し”暗さ”が逆に照明のような効果をもたらす戯曲を見させられたような感覚に陥る映画作品だ。
かなり衝撃的だけれども、観る人を選ぶ気もする。
そして、もうひとつ非常に重要な点があると思う。
ふと気がついたのだけれども、ペドロ・コスタ監督には出身地や人種などといった多くの人が多かれ少なかれ抱いてしまうような ”偏見のようなもの” が、”そもそも” ないのだと思う。
だから、これほどリアルにヴィタリナたちを ”人間” として見つめ映画にヴィヴィッドに描くことが出来たのだと感じるのだ。
背景は概ねストーリーにリアリティを与えるし、重要な要素になることが多いと思う。
しかし、この映画「ヴィタリナ」では、ヴィタリナの出身地カーボベルデが、アフリカ大陸の西の遠くに浮かぶ名前も知らない小さな島嶼国で、旧植民地、出稼ぎ者が多い場所なんてことや、どれほど貧しいのか、独立はいつだったのか、政治体制は、宗教は何だろうかなど色眼鏡で見て考えがちな情報は意味をなさないのだ。
ここに描かれているのは、貧しさや肌の色なども関係ない、僕たちと同じ”人間のリアル” そのものじゃないのかと感じるのだ。
(以下ネタバレ)
貧しさもあって逃げるようにリスボンに出稼ぎに行ってしまった夫。
しかし、実は自分(ヴィタリナ)から逃げたかっただけじゃないのか。
出稼ぎ先での死亡。
どんな生活を送っていたのか。
愛人。
持ち去られた蓄え。
洗礼も出来ない頼りない聖職者。
気持ちがこもることなどないありきたりの祈り。
そして、ヴィタリナ自身も抱えるエゴや弱さ。
ともすれば、人間誰しもこうだよと思わせるような嫌な部分もそのまま見せることで、出身地や人種で人が異なるなんてことはないと言っているような気にもなる。
“人間”を描いた作品だ。
驚いた。