緑

今日もどこかで馬は生まれるの緑のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

週末に開演時間ギリギリに行ったら満席で入れず
平日に改めて出向いた。
この作品を観たいと思う人が多いのはいいことだ。

学生時代は競馬に明け暮れ、
昔は競馬に関わる仕事に携わっていたことから
半ば義務感に駆られて観に行った。

映画というよりは啓蒙のための映像作品。
といっても押し付けがましさや説教っぽさはなく、
地道な取材を見聞きした現実を実直に届けようとしていた。

競馬ファン、馬主、生産牧場、厩務員、
引退馬を活かす活動をしているNPO法人、
そして食肉センターなどの人たちの話が
その口から語られる。

予告編で解体された豚がコンベアで流れるシーンがあり、
本編では解体された馬も出てくるのだろうかと不安だったが
そういうシーンはなかった。
豚も血抜きされていなければ無理だったかもしれない。
処理が進んだ豚はまだ大丈夫で
馬のは正視に耐えないというのも身勝手な話だ。

食肉センターの人が屠殺の方法や
そのときの牛馬の様子を語っていた。
現場が映る訳ではないが、屠殺馬の様子の話の最中に、
屠殺される場所、使われる道具、
失神させるための作業をする位置からの光景が
丁寧に撮られていて十分に生々しい。

この人だけでなく、生産牧場の人たちも皆
「割り切らないと」という言葉をよく使う。
「経済動物」という言葉も。
身近に経済動物がいない環境の生活者である私は、
命を屠る割り切りが必要な仕事って
本当に世の中に必要なのだろうかと思ってしまうが必要であり、
私がぼんやり思うことはただの感傷でしかない。
最初から食用に育てられる生き物となにが違うのか、
屠殺までにレースという仕事が挟まるだけではないか。

牝馬は未勝利でも、それこそデビューしていなくても、
繁殖馬として生き長らえる馬が多い。
牡馬は勝てなければ終了だ。
おいしく調理されて食卓に並ぶ。

競馬ファンの中には馬肉は食べないという人たちがいる。
私はおいしくいただく派だ。
ただ、それも食卓に並ぶときには
名もない馬の肉になっているからであり、
もし自分の入れ込んだ馬の肉だとしたら
箸をのばせる自信はない。
皿を前に号泣する可能性のほうが高そうだ。
牧場関係者に一番嫌がられるタイプかもしれない。
入れ込んだ馬の中には平場で終わった牡馬もいる。
JRA引退後はきっと誰かの血肉になったのだろう。

繁殖に行けない馬が寿命を全うできるセカンドライフとして、
まず思いついたのは誘導馬だが、
どの馬でもなれる訳ではないし、
そもそも数が必要とされる仕事ではない。
乗馬にまわるのが一番良さそうだが、
これも必要とされる数より生産される馬が多すぎる。

やはり行き着く先は、そんなに馬が要る? ということだ。
レースもっと減らしてもよくない?
馬券の売り上げってそんなに必要?
馬を減らせばいいのでは?
では牧場はどうやって経営を成り立たせるのか。

食用等に馬を輸入していることも
サラッとナレーションが触れていた。
内国産馬が減ったら輸入馬が増えるかもしれない。
その馬は知らない馬だからいいのか?

競りの場面で生産者が購入者に
自分の馬になると良く見えるものだと言っていた。
これに尽きるのではないか。
馬が寿命を全うできる活動をしているNPOは
きっと苦労しながら一頭一頭のことを考えて送り出している。
その活動は立派だし、応援したい気持ちになった。
そして同時に思う。
元から食用として育てられているならしてないことだよなあ、と。

巨額の税金を生む一大産業の中に
食肉になる運命も組み込まれていることを
「割り切る」しかないのだ。
馬を助けたいという気持ちは尊いし、
人間らしいエゴなのだろう。

骨折するかもしれないと思いつつレースに出して
骨折させてしまった経験を語っていた人がいた。
経済動物とはいえ、こればかりは飲み込めなかった。
「馬優先主義」と言えるのは騎手だけなのだろうか。
安全な状態で馬場に送り出して欲しいと切に願う。

競馬関係の職場で働いていたとき、
週末に内勤の者たちでグリーンチャンネルを観ていた。
平場のレース中に骨折した馬がいて、
「やった!」と叫んだ人がいた。
その馬が自分の馬券の邪魔だったのだろう。
勝ったら嬉しいけど負けてもいいから絶対無事でと思っていた私は
今でもその人を軽蔑している。

引き取られて遊んでもらってはしゃぐ馬は
本当にかわいかった。
馬は賢くてかわいくて人間を悩ませる。
緑