『拓魂 ―ある満蒙開拓団員の証言―』が配信されているサービスは見つかりませんでした。
東京都多摩市桜ヶ丘にある拓魂公苑。ここで、1963年から毎年、満蒙開拓団を慰霊する全国拓魂祭が開かれている。満蒙開拓団は、国策の名のもとに“憧れの地・満州”へ送り出された農業移民である。この全国拓魂祭に毎年参加しているのが、中込敏朗さん(92)。開拓団の一員として、故郷の山梨県から、満州国の千振地区へ家族とともに渡った。父親が死亡後も、家族は満州の地に残り、開墾に精を出した。しかし、ソ連参戦によって、穏やかな生活は一瞬にして逃避生活に。中込さんは、姉妹を失い、生き残った家族とも離れ離れに。奇跡的に、満州国の首都・新京で再会した家族は、苦労の末に日本に戻ることができた。しかし、故郷・山梨に安住の地はなく、引き揚げて来た千振開拓団の仲間とともに、栃木県那須町で土地を新たに開墾せざるをえなかった。那須の開拓地にも、「千振」と名付けた。中込さんは言う。「私には故郷が3つある。山梨であり満州であり那須である」と。“憧れの地”から“地獄の地”へと変わった満蒙開拓とは一体何だったのか。一人の元満蒙開拓団員の証言をもとに描いた。