Junichi

由宇子の天秤のJunichiのレビュー・感想・評価

由宇子の天秤(2020年製作の映画)
4.7
「正論が最善ではないと思います。」

【撮影】10+
【演出】9
【脚本】10
【音楽】8
【思想】10+

※本レヴュ、かなり長いです。申し訳ございません。



〈1 導入〉
【人間は理性的な動物である】と言ったのは
古代ギリシアの哲学者アリストテレス

理性は
人間を他の動物から区別する徴表となる能力
その基本的なイメージが【天秤】

臆病さと向こう見ずが両極端で
これら両者のバランスをとった中間が
【勇気】であるように

理性は【理由】づける能力(理論理性)にとどまらず
実践理性
つまり徳を備えた【賢慮(フロネーシス)】でもあります

天秤としてイメージされる理性は
釣り合う状態を維持(静止)するのではなく
左右に大きく揺れ動きながらも
どちらかに傾かずに必死に中間点をとろうとする
絶え間ない倫理的な努力

物理的には
天秤は放っておけば中間に至りますが
人間の場合は高い倫理観が必要です



〈2 本作品が前提していること〉
さて
本作品の主人公である由宇子(瀧内公美)も
内面の天秤が激しく揺れます

発端は
とある女子高校生の自殺
そして彼女の自殺の原因(いじめ)を隠蔽するために
学校とメディアによって捏造報道された
彼女と教員の交際

そしてこの教員も
捏造報道と学校に抗議するために遺書を残して自殺をする

本作品の主人公の由宇子は
メディアによる捏造報道が教員を自殺に追い込んだというドキュメンタリ番組を制作する

しかし会社上層部は自己都合に合わせた編集を彼女に指示し
教員の自殺の全てを学校の責任にする

この物語と同時に由宇子は
自分の父親が
自らが経営する塾の生徒を妊娠させたことを知る…





以下、内容に深く深く触れますのでご注意ください






〈3 由宇子の天秤(1) ドキュメンタリー制作〉
本作品の中心テーマは【自己愛】です
由宇子の【自己愛】がこれでとかと暴かれ
叩きつけられ
首を絞められます(笑)

主人公の由宇子は
真実を伝えるという使命感、正義感から
メディアの罪を問うドキュメンタリー番組を制作しています

しかしながら物語の終盤
自殺した教員の姉の告白によって
教員と女子高校生の交際が事実であったこと
そして教員の遺書が姉によって創作されたものであることを知り
自分の【正義】が自己愛がであったことに気づかされます

つまり彼女の頭の中には
メディアによる捏造報道の被害者を救い
メディアの罪を問うという【正義】があり
そのストーリーに合わせて由宇子はドキュメンタリーを演出していたのです

「女子高校生はイジメによる自殺であり、教員はメディアの捏造報道による自殺である」
しかしそれは事実ではなかった

会社の上層部が行おうとした捏造を
実は自分も行っていたことを
教員の姉の告白によって突きつけられたわけです



〈4 由宇子の天秤(2) 萌との交流〉
このことと同時並行して描かれるのが
自分の父親が妊娠させてしまった女子生徒(萌)との交流

一見すると
由宇子が萌を立ち直らせるために行った心の交流に見えますが
その実態は萌の監視です

萌がどのような家族構成か
そして家族とどのような関係か
萌が妊娠していることを彼女の家族に悟らせないために
そして家族や周囲の人に知られずに堕胎させるために
由宇子はありとあらゆる手を尽くします

恐ろしいことに
これらすべては【自己愛】に動機づけられた行動です
そしてそのことに由宇子は無自覚です

哲学者のイマヌエル・カントが
非道徳的なものとして最も嫌ったのが【根本悪】
穏やかでニコニコと暖かく愛情深く振る舞いますが
しかしそれらの全ては【自己愛】から動機づけられています

人間の真の怖さがここにあります

萌の妊娠が
自分の父親によるものではない可能性が浮上したとき
由宇子は耐えられず萌本人に聞きます
その言葉を聞いて
由宇子のこれまでの行動の意味を全て理解した萌は
由宇子のまえから逃げ出します

萌が交通事故に遭い
意識不明である知らせを受けた由宇子
彼女が心のなかで
このまま萌が亡くなることを願うことなどなかったと
はたして言いきれるでしょうか

萌の枕元に置いた
萌が以前欲しがっていた自分の腕時計
それは
萌の魂への手向けだったのではないでしょうか
萌の父親が腕時計を返したのは
そのことを感じとったからではないでしょうか

本作品
メディア批判ができないメディアを批判するだけでなく
メディア批判をするメディアも批判し
そしてより普遍的に
人間の自己愛を暴きたてます

メディアや人間の恐ろしさを知るには
福田ますみさんのルポ
『でっちあげ』と
『モンスターマザー』
(いずれも新潮文庫)が参考になります

映画最後の駐車場の場面
リハ無しの長回しで撮影とのこと

萌の妊娠の責任が自分の父親であることを
萌の父親に由宇子が告白する

由宇子の告白をどうみるか
自己愛を克服して由宇子は道徳的に改心したのか
あるいは
告白することで楽になりたい
救われたいというさらなる【自己愛】にからめとられたのか

後者の解釈であれば
由宇子は首を絞められて殺されるべきだったのかもしれません
自分は後者の解釈でした
悪い人です(笑)

最後に
本作品は高崎市内でほとんど撮影しています
由宇子の父親が開いている塾のビル
自分が小学生の頃に通っていた珠算塾のビルです
あの部屋で小学生の自分は算盤をしていました
梁が浮き出ている特徴的なあの階段で遊んでいました
個人的に懐かしい思いに浸りました

長々と失礼いたしました
本作品
【自己愛】に関心のある全ての人にオススメします
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