かさい

プロミシング・ヤング・ウーマンのかさいのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

男女の「交際」や「結婚」は、男性と女性が平等な立場で共に築きあげていくものであると、様々な媒体を通し、まるで暗示をかけるように我々の前に表示される。平等な男女の構図が我々に強調される理由は、男性が女性を道具として扱うという不平等な構図が、過去から続いてきたからに他ならないし、現在でも続いているからである。
今日では、このような構図の改善が進められている(改善が進められているというのが過言であっても、広く社会問題として認識されているというのは間違いないだろう)

では、セックスはどうだろうか。
映画の主人公のキャシーは、大学時代の友人ニーナがレイプに遭い、自殺した過去を乗り越えられないでおり、女性をセックスの道具として利用しようとする男性に対して激しい復讐を行う。セックスにおいては男性が女性を道具として犯し、女性が道具として犯される構図が依然として存在しているからだ。

セックスにおいては、男性が女性を道具として扱うという構図が今なお生きながらえているのは、セックスは忌避されるべき話題として世間に認知されているからである。
セックスを話題にすることは蓋をされているが、デジタル技術の発展により誰でも簡単にセックスにアクセスすることができるようになった。性的な画像や動画はスマートフォンで撮影され、SNSで簡単に拡散される。これらの動画や画像のほとんどは男性優位で撮影されるため、男性が女性を道具として扱うという構図も広く拡散される。

恋人や妻を尊重する社会的に評価の高い男性が、女性の顔や胸に点数をつけ、品定めするような発言や行為をとることは珍しくない。男女は平等であるが、ことセックスにおいては例外的に男性が女性を物扱いしてもよいという矛盾した考えが、世間の暗黙の了解となっているからだ。
ライアンやアル・モンローといった加害者の男性だけでなく、同じ女性であるマディソンやウォーカー学部長までもがニーナの死を過去のものとし、なかったことと割り切れてしまうのは、この暗黙の了解が根底に存在しているからである。

キャシーの復讐は、世間のセックスに対する暗黙の了解に対する抵抗とも言い換えられる。
加害者であるアル・モンローやライアンへは社会的・法律的な制裁を与え、傍観者であったマディソンやウォーカー学部長へは精神的な制裁を与える。キャシーの復讐は過激なものであるが、スクリーンの前の傍観者である我々に対する痛烈な批判でもあることを認識しなければならない。
かさい

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