けいすぃー

選ばなかったみちのけいすぃーのレビュー・感想・評価

選ばなかったみち(2020年製作の映画)
3.7
「感動の問題作」というキャッチコピーの意味を鑑賞後に理解した。
色々なことを思う作品であった。

認知症を患い、コミュニケーションがまともに取れない主人公レオと、彼に付き添う娘の1日。フラッシュバックするシーンと共にレオは時空を旅する。
アルツハイマーなど、意思の疎通がうまく図れなくなってしまった人物の脳内はこうなっているのかも知れないという感覚と共に、それに寄り添い続けた娘が、もうお手上げだと匙を投げかけるシーンが印象的だった。
個人的には私自身父親と母語を共有しておらず完全にわからない部分や、過去の人間関係などについて知らないことが多くあり、自身を娘に重ねてみることが出来た。目の前の父はときに疎ましいが、彼は自分には想像できない過去を背負っている可能性がある。

また、撮影技術は見事なものだった。ロングとクロースのショットの使い分けや、手持ちでの臨場感、それぞれのカットの作り方、どれを取っても文句なしだった。

ここまではありふれていながらも、感動できる作品という認識だった。以下ネタバレを含む。


最後のシーン、レオが初めて娘の名前「モリー」を呼び、思いが通じた。その直後、もう1人のモリーが姿を表し、部屋を出て行く。
これはさまざまな解釈の余地を残すシーンである。

まず、別ロケーションで展開していたレオのふたつのシーンは過去の回想ではなく、選択していなかった世界の延長だったと取れる。ここで他のシーンに於いてもレオの見た目の年齢が変わらなかった違和感が解消される。彼は人生の淵で様々な可能性を生きていたことになる。

また、もう1人のモリーが現れたことは、父と分かりあうことを放棄し、部屋を後にする姿かも知れない。彼女の怪訝な顔がそう思わせる。

そしてひとつ、日本語字幕に於ける重大なミスがあったかもしれない。
劇中、医者などがレオを「彼」と呼ぶことにモリーは執拗に反応していた。これはレオが自分の名前を呼んでいないからこそ、自身をレオに投影した憤りだったのだろう。事実、レオは最後のシーンまでモリーの名前を呼ばず、他のセリフで彼女の名前が判明することは無かったはずだ。
しかし、モリーの母がモリーに「sweet heart」と呼びかけた再現、日本語字幕では「モリー」と表記されていた。これは翻訳家の失敗と取れるだろう。
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