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劇場版ごん GON, THE LITTLE FOXのカポERRORのレビュー・感想・評価

劇場版ごん GON, THE LITTLE FOX(2019年製作の映画)
4.3
ごんは言った…
「神様なんて、いるわけないじゃん」

いや、間違いなくいるよ。
その神様は、生命のない人形に、生命を吹き込むんだ。
その神様の名前は…

     『八代健志』

彼の手の中で万物は息づく。

❀❀❀

新実南吉 作『ごんぎつね』を知らない者はいるまい。
1980年に小学校用全教科書で採用されて以来、現在に至るまで掲載されている唯一の教科書小説である。
この作品を、小学生が読んでどのような感想を抱くか。
それは、読み手の感受性や境遇によって千差万別だろう。
当の私はと言うと「兵十に撃たれたのは、いたずらに明け暮れたごんぎつねの自業自得だ」くらいにしか思いもしなかった。
恥ずかしながら、あれから数十年、私の中の『ごんぎつね』は、その印象のまま何ひとつ変わらぬ姿で海馬に刻まれていたのである。
そう、八代健志という天賦の才能に出会うまでは。
初見は一昨年。
彼の作り上げた本作『劇場版ごん GON,THE LITTLE FOX』は、この数十年間、私が『ごんぎつね』に抱いていた”説教臭い道徳教材”という陳腐な印象を、わずか28分間で、色鮮やかな日本の原風景を舞台にした新実南吉の一大抒情詩に塗り替えてしまったのだ。
人の作りし荒削りな木彫りの人形たちが、母親を亡くした人と獣の心の機微までを、かくも豊かに表現するとは。
私は絶句した。
息づくはずのない人形たちが、紛れもない生命と感情を宿し、決して分かり合うことのない儚くも切ない結末へと、観客をいざなうのだ。
その後も数十回視聴し、私はその全てで涙した。
また、観る度に懺悔した。
数十年もの間、この作品を真っ当に理解しようともしなかった自分自身が情けなくて仕方なかった。
何と愚かで浅はかな生き物だ。
息吹のない人形に思い知らされた。
そして私は、こんな愚かな私にさえも、気付きを与えてくれた八代健志という同い歳の天才に、一生涯感謝し続けるだろう。

彼の作る人形と、彼の生み出すストップモーションアニメの偉大さは、私の稚拙な語彙力では到底語り尽くせない。
その代わり、本作品の公式HPに記載された才能豊かな方々の素晴らしいコメントを一部ご紹介したい。

◆『現代日本を代表する人形アニメーションの傑作』
「ごん」の世界はいつか見た日本の情景。川のせせらぎ、風に揺れるススキ。実はその全てがストップモーション撮影のタブーとされた難しい素材だが、八代健志監督の美学はその壁を超えてみせた。この世界に息づく人やキツネやトンボの生命(ANIMA)は、まさにアニメーションの魔法だ。新美南吉原作の行間を丁寧に豊かに補完し、かつ独自の映像作品に仕上げた作家力と、根底にある人間力に支えられたこの短編はとても強く優しい。
─伊藤有壱─
(アニメーションディレクター)

◆ごんの、兵十の心が見えた。動かないはずの人形たちだからこそ、「心」そのものがそのまま届いて激しくゆさぶられた。なんで人形アニメーションをやっているのか。その答えがここにある。と思いました。嫉妬しています。
─合田経郎─
(こま撮りアニメーション監督)

◆ 素晴らしい!涙が止まりません。なぜゴンと兵十は分かり合えなかったのか。今日の分断の世界まで考えが及びました。サイコーです。映画の中の曼珠沙華は現実の曼珠沙華と全く同じです。人形が生きて人間以上の感情が溢れています。
─江上剛 ─
(作家)

本作の公式HPには、メイキング動画や八代健志監督のインタビュー動画も掲載されている。
いずれも非常に興味深いので、是非本編鑑賞後に一度ご覧頂きたい。

❀❀❀

10月から始まったNHK連続テレビ小説『ブギウギ』のオープニング映像を手がけた八代氏。
昨日YouTubeにもニュースこまちで放送されたドキュメンタリー動画がアップされた。
このOP映像、ストップモーションアニメではなく、昔NHKで放送されていた『プリンプリン物語』や『三国志』のような人形劇調で、私的には少し残念だが、それでも八代健志の名と作品が広く世間に認知されるのは嬉しい限りだ。
本作、Filmarksのレビュー数はまだ今日時点で684件…「もっと多くの人に知って欲しい」の一語に尽きる。
さて、今宵も本作ラスト4分23秒を観て眠りにつくとしよう。
林部亜紀子の織り成す曲の余韻で、もしかしたら、今夜こそは兵十とごんが笑顔で語り合う夢を見られるかもしれない。

不朽の名作『劇場版ごん GON,THE LITTLE FOX』。
未見の方は是非一度ご鑑賞頂きたい。
現在、U-NEXTとFODで配信中。


余談)

小学4年の教科書に掲載されている誰もが知る『ごんぎつね』と、新美南吉の原版『権狐』。
結末の描写が異なるのを御存知だろうか?

…「ごん、お前だったのか。
  いつも栗をくれたのは。」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、
 うなづきました。
 兵十は、火縄銃をばたりと、とり落とし
 ました。青い煙が、まだ筒口から細く
 出ていました。

これが、初掲載の雑誌『赤い鳥』のものを踏襲したと思われる、私たちが読み、今も読み継がれている作品の最後である。
とても悲しい、余韻の残る終わり方だ。
では、新美南吉の自筆原稿ではどうなっているのか。(一部旧かな遣いを修正した。)

…「権、お前だったのか……。
  いつも栗をくれたのは―。」
 権狐は、ぐったりなったままうれしく
 なりました。
 兵十は、火縄銃をばったり落とし
 ました。
 まだ青い煙が、銃口から細く細く出て
 いました。

南吉が考えたラストシーンというのは、「撃たれて死んでしまう悲しい結末」ではなく「ずっとひとりぼっちだった「ごん」が最後に兵十に理解され、心が通じ合ったうれしさ」だったのかもしれない。
撃たれても尚「うれしくなりました」と思った「ごん」の心情こそ、この作品で南吉が描きたかったことなのではないか。
本当に奥深い作品である。
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