これは映像による祈り。
違う意見や考え方の人間を排除する不寛容の恐怖。多様性と真っ向から対立して暴力で押し潰そうとする。民主主義、言論の自由を勝ち取るために、どれほど多く血が流され、命が失われたか。第九があれ程、悲しく強く歌われ響くことがあったか。
更にジワジワと新自由主義による分断が蝕む。高層ビルと縦横に張り巡らされた道路、それに電車が走り去るゴミが散乱するスラム街。独裁政治が残した治らない傷が病むみたいに。
敷石が覚えている隠れた歴史。ジャーナリストのパブロが命懸けで(でも、危険はさらっと語り、機材が今のようなら、もっと記録を残せたと、撮れなかった過去にこだわり最前線へ出ていく)撮り続けた人々の闘いの歴史。物言わず、そこにあるアンデスとチリの誇り。美しい門構えの石造りの家の中は瓦礫の廃墟。隕石に託したグスマン監督の祈り。
日本だって沢山流れた血の上に今の世があることを忘れている自分がいた。険しいアンデスの崖を登り終えない、完結しないすまない気持ちが残った。