それも、生徒、マランダの意見を聞いたり、登校しないザックの祖父母の賛同も得て、セントアンドリューを断り、カグラタック高校で根を下ろす。(現在は弁護士になっているが、ここで七年間教鞭をとったらしい) ラスは大学でラクロスの選手だったので彼の指導は大学で鍛えられた練習、特訓、根性、論理、愛で生徒たちに体当たりした。そして、目をつむり、そこで目が見えなくても感じることの自然との融合である感性をスポーツの中に入れた。これは、獣を捉えることの出来るイヌイット族の感性とマッチしている教えで、素晴らしいと思った。ここで、初めて、融合、宥和という概念が出てくる。先住民のスポーツだったとは言え、西洋化してしまったスポーツ、ラクロスの中に、どうイヌイット族の野性的な感性を入れるかの指導はあっぱれだ、ラス。 しかしここで、次のポイントとなるのはトロントに行って、明らかに、実力の差を見せつけられて、一点も取れない、負け試合の中、ラスはこの試合が最後だから楽しめと生徒に。この機会を与えられただけでも素晴らしいから、どうせ負けるんだから楽しくやれという意味だと思う。わあ、これが、独断と偏見で批判されるのを承知でいうが、カナダ、米国のマインドなんだ?!しかし、イヌイット族のカグラタック高校の生徒は苦しみの中に、負け戦の中に、切羽詰まって困難に立ち向かった時、この状態を乗り越えることができた。虐待の中で育った、レジデンシャルスクール在学中(映画の最初に尼と子供たちが写っている写真など)の痛み、PTSDを抱え込んだ父親を持ったカイル(Booboo Stewart )のリーダーシップのもとで。チーム、グズルリーはコーチのラスの指導に逆らっても、反逆心のあるイヌイット族のパワーを見せつける。ここが一番感動するシーンで好きだった。