Koshii

ポゼッサーのKoshiiのレビュー・感想・評価

ポゼッサー(2020年製作の映画)
3.8
《際限のない嫌悪感。その行き着く先は暴発か、、》

ポスターに惹かれて。

ホラー映画にも少しずつ興味を持ち始めてきた今日この頃。

ある程度の道なりは見えていても、どのように進み、どう着地するのか。先が予測不能であることがこんなにも怖いということを、本作「ポゼッサー」でもまた実感した。

以下、ネタバレや考察を含みます。












さて、タイトルの「ポゼッサー」とは直訳すると「所有する者」という意。

その真意は序盤で明かされる。暗殺エージェントであるタシャは、ある装置によってターゲットの側近の人物の頭の中を乗っ取り、意識をコントロールすることが可能である。つまり、ターゲットの体は器となり、彼女はその精神を所有するポゼッサーとなる訳である。

あぁ、映画をこうやって観ている私たちも、映画に心を乗っ取られている「ポゼッサー」なのかも、、私たちは自決しなくても、離脱は可能なのだが、

とか考えながら鑑賞していると、中盤、終盤で頭を抱えることになった。

鮮やかな殺戮シーン、バターが溶けるように構築されていく体。受け入れ難いセックスシーン。トリップのような視覚効果を取り入れ、嫌悪感は加速する。
拒絶と暴走。

だからこそ、次の展開が観たくなるのだ。

少し前の話に戻し、頭を抱えたシーンに触れたい。まず、第二の殺戮のシーン。コリンとタシャのどちらが支配しているのか曖昧になる展開。そして、ラストの複雑な殺し合い。エピローグでの蝶の標本。


自分なりに考察した結果、そもそもポゼッサーの解釈が間違っていたという所に落ち着いた。

タシャがポゼッサーであることは間違いない。問題は何を所有する者だったのか、という点である。恐らく《他人の精神》を所有する者という意味ではなく、タシャ自身の理性、言い換えるなら《人間としての心》を所有する者という意味だったのではないだろうか。

一度整理してみる。

タシャ: 惨殺することに快楽を覚えているが、自分(寄生主)を殺すのは躊躇われる。理性を完全に捨てることが出来れば、もっと仕事に集中できると考えている。
人間としての心を引き出してしまう家族を危険因子として捉えている。

ガーダー: タシャを自分の後釜にしたいと考えている。それゆえタシャの家族を邪魔と捉えている。

タシャは辛うじて、人間としての心を所有していたのだが、それを捨てることは、タシャ、ガーダーの両者にとってメリットであることが分かる。蝶の標本でテストするシーンは、タシャが完全に人間の心を失ったということを意味している。

彼女たちの視点からすれば、この蝶の標本のシーンをもってハッピーエンドを迎えた訳だ。

当初は人の心を所有していたタシャが、それを捨てることで、possessorからabdicater(放棄する者)になったというエンドだと私は解釈する。

全体を通してこうも、気持ちの悪い感覚に陥ったのは(褒め言葉です)、タシャを主人公としていたからに違いない。恐らく、コリン目線で描いていたら全く別のホラーサスペンスになったと思うし、なんならそちらの方が王道な気がする。タシャをまるで被害者であるように写すことで、彼女のもつ狂気を正当化させているように感じた。それが返って私たちを混乱させたのだろう。


サスペンス好きな私からすると、SFホラーというジャンルはかなりマッチしているのかもしれない。

本当に数える程しかホラー映画を観ていないので、ホラーサスペンス系、ひと怖系でおすすめ作品を知っている人が居られれば、ご教授願いたい。
Koshii

Koshii