日本のリベラルや左と称される人たちの
市民運動/政治運動においても音楽は使われていて、
常々その有り様が不満だった。
ほとんどが「……誰?」と思うような人を呼び、
さもありがたそうに紹介して曲の演奏が始まる。
音楽に関心が薄く思想を共有できている人にはいいのかもしれないが、
そうでない人間にとっては実にどうでもいい曲だったりする。
どうでもいいのに、どや? ええ曲やろ? 感が強くて辟易させられる。
内輪感丸出しで、
これでは多くの人はむしろ引くよな……と思っていた。
ロック・アゲインスト・レイシズムは
クラッシュを呼ぶことにこだわったように
メジャー感も大事にしている。
これ、すごく大事。
パンクやレゲエというような
圧倒的多数が愛好者とは言えないジャンルで
更に参加アーティストがマイナーな人たちばかりなら
ここまでのムーブメントにはなり得なかった。
当時のイギリスと今の日本は似ている。
不満や憤りをぶつけやすいところにぶつけている。
ナショナル・フロントは今の日本の在特会やネトウヨのような存在で、
どちらもうんこ。
主語をでかくして正義っぽいまやかしを言う奴はみんなうんこ。
映画としては、
運営メンバーや参加バンドにいた人たちへのインタビューと
当時のライヴ映像等をほどよくミックスして進められる。
RARのミニコミをイメージしたような
コラージュ感溢れる説明パートも楽しい。
ところどころ字幕が消えるのが早かったこと、
背景と字幕の白抜き文字の相性が悪く読みにくいところがあったこと、
最後の「白い暴動」以外の歌に字幕がなかったことが残念。
全部字幕絡みだな。
右の旦那様には思想の見直しを、
左の旦那様には運動の中での音楽の使い方を、
どちらでもない旦那様には国を問わずに
歴史が繰り返されている現実を教えてくれる作品。
RARの復刻バッジが物販にあれば買ってたのになかった。
これも残念。