創作の原点を見たような気がした。
我々が映画を観るとき、誰が出演している、どのようなスタッフが関わっているといった情報を目にするが、その後ろに控えている資本や組織、権利なども同時に意識しがちである。
ただ、創作の原点は創り手の想いから始まることは間違いない。スタジオ内に「反合理主義」と張り紙がされていたが、その通りだ。
限られた予算や人員で成立させるのもプロの仕事ではあるけれども、創り手の外部からそれを求めることをキネマの神様は求めていないだろう。
集められたチーム内で談義しながら傑作が生まれる姿こそファンは心待ちにしているのではないか。映画を愛し抜いた人にキネマの神様は微笑み、素敵な大団円を用意してくれる。
ジュリーの芝居からは、「もしも志村が演じていれば」という視点が交えられて演技されているような気がした。