このレビューはネタバレを含みます
佐々木が劇中の皆の心に沁み込んでいたように、この映画『佐々木、イン、マイマイン』もいつの間にか視聴者の心に沁み込んでくる。観終わった後は佐々木に胸ぐらを掴まれたような、背中を強く叩かれたような気分になる。佐々木みたいにエネルギッシュでパワフルな映画。
『NUMBER GIRLの「OMOIDE IN MY HEAD」という曲のような読後感のある映画にしたくて、僕らなりの『OMOIDE IN MY HEAD』にしたいねって言ったりもしていました。』と内村監督はインタビューで答えていた(https://cinemore.jp/jp/news-feature/1737/article_p2.html)が、まさに。BGMも相まってのことだとは思うが、NUMBER GIRLを聴いた後に似た感情。
太陽のような佐々木にも裏側がある。いつも明るく照らしてくれている太陽の裏側は、もしかしたら暗いかもしれないし、明るいかもしれない。佐々木が周囲に放つ光はあまりに強すぎて本当の姿は見えないが、本当は傷だらけの脆い太陽のはず。
佐々木は高校卒業後も今までとは違う場所で太陽として存在し、輝き続けた。佐々木は輝き続けながらも裏側にある暗い部分を周囲に見せることはなく、心の傷も身体の傷も深めていっただろう。
悠二は佐々木に強い憧れを抱いている。その象徴としてタバコがある。高校卒業から5年後に再会した際、悠二はタバコを吸っていなかった。その再会以降の時系列として考えられるシーンではタバコを吸っている。劇中で何度も出てくるタバコシーンは、ただ「エモい」と消化するわけにはいかない。
佐々木は悠二のことを友達に自慢げに話していた。佐々木にとってみれば、悠二達が太陽だった。自分に光を見出せなくても、自分は誰かに光を与えていることもある。
高校を卒業し、悠二達という心の中の太陽と疎遠になった佐々木がやっと見つけ出した新たな太陽が苗村。
俳優もタバコも佐々木がキッカケ。元カノとの関係も俳優業も中途半端。そんな宙ぶらりんな悠二は佐々木の死と木村家の新たな命を目の前にして生まれ変わる。人間として成長し(元カノとの曖昧な関係性に終止符)、役者としても成長した(舞台に上がるシーンの差し込み)。
ラストの飛躍のさせ方が最高だった。佐々木コール無しでこの映画は終われなかった。佐々木コールと苗村のクラクションのカタルシスで涙が止まらない。
映画全体通して1番好きなのはカラオケシーン。あの約7分間を何回も観てる。いつでも見返せる環境をありがとうU-NEXTさん。カラオケ終わりの何気ない会話の雰囲気、別れた後のニヤニヤ苗村が最高。
プカプカ聴いて、あのシーン思い出して、観るを何度も繰り返してる。
私にとってもインマイマインの太陽的な存在がいて、逆になんとなくインマイマインされているなと感じる存在もいて、とても他人事とは思えない映画だった。
自分が悠二だとしたら佐々木はアイツだし、多田はアイツだし、木村はアイツだし、のように全部当てはまる。まだ私の佐々木は苗村を見つけられてないけど、きっとどこかのカラオケで見つけて来てくれるだろう。