netfilms

ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.0
 岩手県一関市、駅前から少し離れた住宅街にその店はある。屋根に雪が降り積もるこれからの季節、レンガ作りの外壁、そして野口久光氏の描いたフランソワ・トリュフォーの『大人はわかってくれない』のポスターの先に二重のドアがある。その重いドアを開けると、店の奥には2つの巨大なスピーカーが鎮座する。1940年代のJBL社製のそのサウンド・システムは、どんなJAZZのレコードでもその場でライブ演奏しているかのように鳴るという。地鳴りのようなオーディオ・システムはライブ・ハウスを凌ぐような音圧で、人々の聴覚だけではなく、身体をも刺激して止まない。このJAZZ喫茶のオーナーは菅原正二という。ゆっくりとコーヒーを淹れ、口にふくむと、SHURE V15 TYPE-3の針を33回転で周るレコードに落とす。信じられないことだが、菅原氏はこのルーティンを50年間ほぼ毎日続けて来たという。日本で最も音の良いJAZZ喫茶として知られる「ベイシー」では、JAZZをこよなく愛する男が、夜な夜なレコードを演奏する。

 ダンディという言葉では一くくりに出来ない菅原氏の雰囲気からは、どことなく職人気質が漂う。その日の気温、湿度、または時代の変遷に抗うような圧倒的な音楽体験を客に提供するため、堅牢なオーディオ・システムは常に微調整を続けて来た。クラシックの演奏家のストラディバリウスのように、名器は演奏家にとって常に厄介な存在だった。暴れ馬をならし、自分の手に馴染む名器とするために、ヴァイオリン奏者の豊嶋氏は5年10年の歳月がかかったと語る。JAZZ映画の中で唐突に登場した小澤征爾や豊嶋氏のエピソードこそは、星野哲也監督が強調したいポイントだっただろう。SNSではとても経験出来ない一期一会の「体験」をするために、様々な演奏家やJAZZ愛好家が岩手の「ベイシー」を訪れる。店の名前の由来となった御大カウント・ベイシー、ジョン・コルトレーンの盟友として知られるドラム奏者エルヴィン・ジョーンズらの訪問は、この店の評価を裏付けるエピソードだが、その中でふらっと訪れた阿部薫の生き急ぐような姿が当時のVHSテープに奇跡的に収められている。

 カウント・ベイシーの『April In Paris』を筆頭に、80年代以降の電化マイルスの挑発的な『Fast Track』、ナベサダこと渡辺貞夫の『Smile』など、この空間を何度も彩ったであろう歴史的名曲が立ち並ぶ。その中でも特に印象深いのが、ビル・エヴァンスの名曲『My Foolish Heart』、このあまりにも美しい名曲を正しく鳴らすために、新宿の『DUG』のオーナーである中平氏は聞こえるか聞こえないかという小さな音で忠実にエヴァンスの演奏を再現するのに対し、自作のJBL社製オーディオ・システムを擁するベイシーのマスター菅原氏は爆音で向かい合う。その際にふと漏れた「爆音に向かって行く時に、音の向こうから静寂が迫る」という言葉があまりにも印象的で、中平氏と菅原氏の世界観の違いをも炙り出しているように思える。誰よりも音に神経質になる菅原氏はまた「豪放磊落」な人間でもあるらしい。ここにはジャズる人たちの特殊な磁場があり、スィングする音の塊に我々はただただひれ伏すしかなくなる。コロナ渦での休業から1日も早いベイシーの再開を願わずにいられない。
netfilms

netfilms