人生最後のモラトリアム期間を過ごす大学生たちの葛藤を通して生きることを肯定する作品。
大人として扱われるが、大人として認められない若者たち。
とはいえ、年齢を重ねれば大人なのかと言われれば決してそうではない。
育児放棄をしながら子どもを所有物のように扱う親。マナーを語りながら、デリカシーのない行為を平気でするマナー講師。
じゃあ、大人になるってなに?って思ったときに今作のメッセージが浮き出てくる。
拭いきれない欠落感や劣等感を抱えながら悩み続ける。これが大人になるということなのである。
そしてそれが、日常の裏に常に潜む“闇”と一緒に進行していくことで、そのまま“生きる”ことへの肯定に繋がっていく。
ありのままでいい=変わらなくていいではない。変化する=自分を消すではない。
自信、希望、悩み、焦り、後悔全て受け入れて、それでもなお他者や社会と関わっていくこと。そのために悩み続けることが変化なのである。
ただ、観客が自己投影すべきは主人公だけではない。理不尽な世の中で自分はどう生きるかというところばかりに注目していれば真に大事なことを見落とす。
本当に観客が考えるべきなのは、自分が“分かった気になっている人たち”になっていないかということである。
冒頭の飲み会で主人公に講釈たれていた大学生になってはいないか。
処女、育児放棄、ケガ、モラトリアムetc......
そういった要素を目の前にして、達観した態度で上から思考していないか。
今作を観ている自分が「君」とは限らない。「そいつら」である可能性に目を背けてはいないだろうか。