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水を抱く女のknmymtのレビュー・感想・評価

水を抱く女(2020年製作の映画)
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もしもこの映画が、都市論として描かれていたなら、最高に素晴らしかったのにと思わずにいられなかった。

その萌芽は、女性の主人公がベルリンの都市開発の研究者であり、博物館のガイドとして働く設定に表れている。しかし、そうしたモチーフは、19世紀から東西冷戦を経て、現在に至るベルリンに関するガイダンスや、スラブ語で「沼」を意味するという音声的なものに留まっていた。

結果として、ドイツ初期ロマン派の作家フリードリヒ・フーケ(1777-1843年)による『Undine』の舞台を、現代に移したに過ぎない印象が残った。また、女性目線(ウンディーネ:水の精本人)から見た構成にはなっているものの、目線がそうなっているだけであり、そこに何かしら本質的な転換があったとは僕には思えない。

浮気性のヨハネス(ヤコブ・マッチェンツ)も、誠実で愛情深いクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)も、2人の男の間で揺れるウンディーネ(パウラ・ベーア)も、すべて古典的な典型を描いているに過ぎない。

けれど、こうした寓意(アレゴリー)に満ちた映画が、僕は好きでたまらない。結局のところ、新しさを感じないテーマや映像感覚ではあったものの、観終わったあと、静かな余韻に浸ることにもなった。

唯一流される音楽は、J.S.バッハ(1685-1750年)による『協奏曲 BWV 974 ニ短調』の第二楽章(adagio)であり、簡潔なベルリンのマンションの一室や家具類もたまらなく好きだった。

また、水をモチーフにすることの普遍的な力も感じる。本作に描かれる、男2人と女1人の愛をめぐる幻想性、彼女や彼らの住む都市のもつ幻想性、歴史という幻想性。それらがモチーフとして配されたのち、結果としてうまく実を結ぶことはなかったとはいえ、気配やムードは豊かに残されていた。

水が宿す、どのようにでも形を変える性質は、人が人である限り、それと共に生きるしかない幻想性と、寓意的に深く交わるからかもしれない。

そのため、もしも本作が、男女間の幻想性/都市の幻想性(それらは歴史という時間軸も内包するかもしれない)という二重奏のように描かれていたなら、きっと静かな名作になっていたように思う。

しかしだからこそ、結実することのなかった予感に、胸がさざなむようなところがあった。

★ドイツ
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