社会の片隅で生きる平凡な個人に寄り添いながらいつの間にか社会や歴史や文化といったマクロな視点に気づかされる素晴らしさがあります。
脚本が凄まじいです。
公共の場での授乳を批判してきた保守的な女性をやっつける決め手はフランシスがその女性の名がジョーン・ジェットと同じ名であることを指摘することです。ブリジットが家父長制を批判した戦うミュージシャンだと説明したその女性をその場にいる全員が共通認識として持っていることが希望になります。抑圧に負けずに戦うことと、分断を乗り越えて融和することの両立が文化の力だと感じられます。それでいて、その名をフランシスに授けたのが、家父長制ギター教室のおじさん先生だったという皮肉の効いたバランス感覚が小気味良いです。
カトリックであるアニーがブリジットの中絶の告白を優しい言葉で包み込むことにもちろん感動を覚えますし、ブリジットが中絶する病院の場面で登場する二人の年配女性の逞しさ(一人はハリーポッターのネタバレをし、一人は双子かどうかのジョークを飛ばす)に希望を見ます。
男性である私は、女性の身体性を自身と同一視して共感することは原理的にできません。しかし、ブリジットがフランシスをおんぶするためにリュックサックを背中側から胸側に持ち直すそのアクションに、心からの感動を覚えました。子どもをおんぶすることは、子どもの言いなりになってベビーカーを置いてきてしまったことを後悔しながら、リュックサックを捨てることも選択せずに、子どもをおんぶすることなのだと知りました。