自分が知りもしない、創作したペルシャ語を教えることによって、ナチスの強制収容所の中で生き延びようとするユダヤ人男性。
限りなく不可能に思えるその試みを、圧倒的なリアリティーによって描き出す。
嘘が明らかになれば、即、命はないという極限までの緊張感。
他の収容者と共に連行され、死んだ方がマシだと思えるほどの毎日。
その緊張感に、観ているこちらまで押しつぶされてしまいそうだった。
レッスンの中で、次第に主人公と打ち解けていくコッホ大尉。
貧しかった過去について語り、これからの夢を語る彼の姿は、普通の人そのものだ。
あの時代、本来なら家族を愛し、隣人を愛していたであろう普通の人々が、強制収容所や各種施設の中で、ユダヤ人や異端な者たちへの虐殺に関与した。
ヒトラーは、なぜ誕生したのか。
多くの者がなぜ彼の思想に共鳴し、ある種の使命感を持って虐殺に加担したのか。
私たちは、そのことについて検証し続けなければならないのだと思う。
なぜなら、あの時代の恐怖は、決して過去のものではないからだ。
個人の中に潜む、残酷さへの小さな芽のようなもの。
それを利用し、自分達の都合のいいように操ろうとする権力者たちが、常に存在するのだから。
解放された後、主人公の頭の中のみに残った、人々が確かに生きた証。
口から出た時、それは祈りになった。
心に残るラストシーンだった。