デヒ

空白のデヒのネタバレレビュー・内容・結末

空白(2021年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

万引き女子中学生の交通事故による死亡事件。その後残された者たちと事件にまつわる人々の物語。

亡き女子中学生の花音の父である添田の台詞の中に「死ぬなら他人に迷惑かけないで一人で死ね」台詞を考えながら映画を観ると苦々しいばかりだ。 偶然の事故による死、その事故にまつわる多くの人たち。トラウマによる苦しみと内面の破壊。
事件以降被害者の家族、残された者たちの物語を描く作品が大多数だが、その逆の側も描き出して新鮮だった。
女子中学生の死だけを見ると、添田は被害者であり、青柳店長は加害者と言えるが、そう分ける必要があるだろうか。偶然の事故だし、両方ともトラウマで苦しんでいるのは間違いない。
両者の立場すべてを描いているため、片方にだけ感情移入したあまり、他の片方に敵対感を持つこともできるだろうが、酷いと思うほど真実を認めない添田と何度も謝罪する青柳店長は対比される性向を持っており、何よりも撮影を通じて片方に感情移入を誘導するよりは、第3者の観察者視点で映画を観るように誘導する。人物の置かれた状況がかわいそうだと思われたが、冷静に観察することができた。

この映画では悪党はいない。皆傷ついた者に過ぎない。

添田-青柳店長の関係が主だが、私は花音と担任先生、そして草加部さんとボランティアの関係が印象深かった。人によって外向型の人と内向型の人がいるもの。例えば、何かを好きで楽しんでいる気持ちを大きく表現するか、静かに表現するかの違いである。きっと花音ちゃんは美術の素質があり、楽しんでいた。しかし内向型で表現が下手だっただけ。他者は思ったより自分以外の他者に関心がない。内面に近付こうとするより表を見て判断するわけ。「全ての人に関心を持ちなさい」という強要ではないが、自分の周りの人には関心を持って近づくことが人間関係の形成にも、そして別の痛みを防ぐためにもいいのではないか。

映画は、MEDIAの矛盾についても語っている。インタビュー対象の苦痛に共感するよりは、自分たちの利益を得ようとする姿。 真実性と正当性よりも、再創造して放送し、人々を扇動する姿は不快だった。時事番組とは、どちらの肩を持つよりも、冷静に中立性を守っていて事実をそのまま伝えることが役割ではないか? この映画に加えて、現在ユーロスペース他様々な映画館で上映中の『由宇子の天秤』を観る必要があると思った。

脚本も演出も素晴らしいが、演技がすごい。劇に対する没入度を高めてくれる。 特に嗚咽する場面が… もっと空気が重くなる。
映画を観てから帰る時、ぼーっとして頭が痛くなってきた。
とても良い映画を観た。映像美も美しかった。
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