メタ壱

青くて痛くて脆いのメタ壱のレビュー・感想・評価

青くて痛くて脆い(2020年製作の映画)
4.2
人を傷つけない為、自分が傷つかない為に人と距離を置く事をモットーにしている大学生の楓は、青臭い理想を掲げる変わり者の同回生・秋好と知り合う。
彼女の理想を実現する為のサークル“モアイ”を創設した二人だったが、いつしか二人の関係性はすれ違ってゆく…というお話。

“なりたい自分になる”
みたいな言葉はよく聞くありふれたものだし、なんだか暑苦しくもあり、バカっぽくも聞こえるし、こんな言葉を言ってる人は中身が空っぽのように見えて、少しイラっとします。

でもそれに対してイラっとするのは何でだろうと考えてみると、それはもしかしたら嫉妬とか羨望なのかもしれないと思うのです。

“なりたい自分になる”って言葉がバカっぽく聞こえるのは「良い年をしてそんな青臭い事を言ってんじゃねーよ」みたいな気持ちを抱かせるからで、じゃあその“良い年”っていう言葉が何で出てくるのかと考えてみると、多分それは自分が“なりたかった自分”をとうに諦めてしまっているからなんだと思います。

だから、“なりたい自分になる”なんて事を真っ直ぐに、笑顔で言っている人を見るとそれが眩しくて、その眩しさが鬱陶しくて、相手を馬鹿にする事でマウントをとった気になり、なんとか自分を肯定しようと必死になってしまう。

で、“なりたい自分になる”って事をちゃんと考えてみると、それは自分の思った通りの行動を取れば良いだけの事なのにとても難しい事な気がします。

周囲からどう見られるかを気にして、他人にバカにされたらどうしようとか、本当の自分になってそれを否定されたらどうしようとか考えてしまって、ならいっそ自分を隠して“普通”に沿ってそれなりの自分をやっていった方が傷つかなくて済むわけで、例え傷ついたとしてもそんなに深手を負う事はないんだろうと思います。

でもそれは結局自分をただ守っているだけでとても窮屈だから、でも自分を否定したくなくてその苦しさを社会や常識といった“他者”のせいにしてしまう。

そうして息苦しく小さくまとまってしまった自分が、真っ直ぐに生きている人の光に照らされた事で矮小な自分を炙り出された気になってしまって、それが自分を否定されているように感じてしまって、眩しい人たちを敵だと思い攻撃してしまう。

でもそれらは本当は全部自分の弱さのせい。

なりたい自分になれないのも、勝手に他人に否定された気になってしまうのも、他者を攻撃したりマウントをとってしまうのも、人を羨んでいる気持ちに気づかないフリをしてしまうのも、そして何より自分自身の弱さを認められないのも、たぶん全て自分の弱さのせいなのだと思います。

でも、本当になりたい自分になる事ってそんなに難しい事でも怖い事でもないんじゃないかとも思うのです。

こうして感じた事を言葉にし客観視してみると、難しさなんてどこにもないような気がするし、むしろ自分がただ何かに過剰に怯えて捻くれているだけで、むしろそんな自分がバカバカしくひたすらにかっこ悪く見えるだけです。

自分を守っていた鎧が重たすぎて身動きが取れなくなって、それを自ら着込んだはずなのにそれに対して文句を言って、そんな自分ってただただ惨めな存在にしか見えません。

もしかしたらなりたい自分になる事で傷つく事もあるかもしれませんし、辛くなる事もあるかもしれません。
だけど、そんな惨めな自分を自分で見る事の方がよっぽど傷つくし辛い事な気がします。

そして、例えなりたい自分で傷ついたとしても、その時の気持ちはきっと清々しさを伴った痛みであって、後悔とは無縁の痛みなはずです。

たぶんそれが“ちゃんと傷つく”という事なのだと思います。
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