このレビューはネタバレを含みます
エディターズカットを鑑賞
微量のネタバレがありますが、考察がメインです。
<考察>
前半と後半でテーマが変わっている。
前半:エスノセントリズム(自文化中心主義)
命の「量」対「質」
(Quantity and Quality of life)
後半:「文化」「宗教」と「カルト」の違い
ー前半ー
異文化の地に降り立つ6人。
ホルガでの「儀式」を目の当たりにし絶句。
・エスノセントリズム
これは特にマークが代表格だ。
彼は異文化に一切の興味を持たず、儀式に対しても無作法を気にしない。
儀式の主役が食べるまで他は食べないと言う伝統を無視したり、出された食事に文句を言ったり。極め付けは先祖の樹に用を足したあと泣いている人に背を向け気がある女性にしか興味を示さない。
「自分の文化こそが第一」と考えるが故の行動、態度だ。これは次の対比では他の来訪者達も同じだと言える。
・命の「量」対「質」
Quantity of Life 命の量
文明が発達し、医療が発展した社会に住む私たちは往々にして「長寿=善」としている。
延命治療や安楽死、尊厳死に対する懸念もこの思想から来ている。
これは私たちが生きている社会構造の中では至極当たり前の発想だ。
Quality of Life 命の質
ホルガでは72歳になると自殺し命を赤ん坊に授けるという風習がある。
「不可避の死を恐れ、貧弱になるまで生き続けるより尊厳を持って死んだほうが良い」これは劇中でも言われていた思想だ。
私たちはどうしても命の量を重視する。そのため「いつ来るかわからない死」を軽視し、日常生活を堕落して生きてしまうことも多い。
もし72歳で「必ず死ぬ」ということが通念だったら、限られた命を大切にするのではないか。
この二つに善も悪もない。ただ、現代社会には後者の選択肢もある、という気づきも必要とも感じる。
来訪者が儀式を拒んだのもこの対比であり、大枠ではエスノセントリズムの現れだ。
ー後半ー「文化」「宗教」と「カルト」
来訪者達が奇妙な消え方をし、主人公カップルもギクシャクし始める。
前半ではホルガの「文化的」面を見せ、後半ではその本質である「カルト的」面を見せる。
「文化」
文化とはその地の風習、伝統。人為的に長い年月を重ねて形成されたものだ。
目的は地を愛し、賛辞をあげること。もしくは円滑に政を回すためのものである。
「宗教」
宗教は何かに対し信仰心を持ち、魂の救済を求めて形成されたもの。
目的は魂の救済である。
「カルト」
カルトは魂の救済を名目に教徒の完全服従を目的とする。
人の弱みにつけ込み、カルトへの依存を洗脳する。
映画の前半ではホルガの儀式や、女神の存在を知る。確かに疑問が上がるものもあるが、上記で説明したことや未開拓文化という観点ではまだ許容できるものだった。また、ホルガの人達からの強制はない。
しかし後半に差し掛かると、自分たちのカルトの信仰のために他者を殺め、恣意的に主人公の弱みを肥大化させ家族意識を洗脳する。この監督の特徴でもあるが、最終的に主人公が目の前の惨状を容認することこそがカルトの本性だ。
拙い日本語でしたがここまで読んでいただきありがとうございました。
もし他の考察、反対意見がありましたら是非お聞かせください。