湯呑

ハッピー・オールド・イヤーの湯呑のレビュー・感想・評価

4.9
『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』は、カンニングという一風変わったテーマを扱ったなかなかの秀作で、タイ映画というと猛烈な勢いで睡魔に襲われるという意味で評価すべき、アピチャートポン・ウィーラセータクン作品ぐらいしか知らなかった私は、タイの娯楽映画ってのもけっこう面白いんだなあ、と新鮮な驚きを味わった。もちろん、主演を務めたチュティモン・ジョンジャルーンスックジンの清冽な魅力も深く印象に残っていて、その制作スタジオと主演女優が再タッグを組み、今度は「断捨離」をテーマにした新作映画を作ったというので、これも楽しい映画に仕上がっているに違いない、と期待は抱いて映画館に出掛けたのだが…
いや、これは度肝を抜かれたというか、はっきり言って完全にレベルが違う。『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』はいかにも昨今の映画らしい、けれん味の効いた演出の盛り込まれた作品で、私が覚えた驚きというのはタイでもこんなハリウッドっぽい娯楽映画が作られているんだなあ、というものだったが、本作は堂々たる映画作家の作品である。監督、脚本を務めたナワポン・タムロンラタナリットという人を私は不勉強にして知らなかったのだが、新作が作られる度に東京国際映画祭でも上映されてきた事もあり、日本にもファンが多いと聞く。できれば、これまでの作品もソフト化して欲しいものだ。これは要注目の才能である。
本作は、近藤麻理恵が提唱した「こんまりメソッド」と呼ばれる片づけ術、及びその指南書たる『人生がときめく片づけの魔法』から着想を得ているらしい。もちろん「TIME」誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、Netflixの配信番組『KonMari~人生がときめく片づけの魔法~(Tidying Up with Marie Kondo)』(劇中にも引用されている)がエミー賞候補になるなど、近藤麻理恵は既に世界的に知られた存在ではあるが、それにしても日本映画界がなぜこんなにおいしい題材に手を付けずタイに先を越されてしまったのか、何とももったいない話である。まあ、日本だったら「部屋を片付けられない非モテ女子が、こんまりメソッドのおかげでイケメンのハートをゲットする断捨離ラブストーリー」とか、おそろしく下らない企画になっていそうだが…
ま、それはともかく本作は「こんまりメソッド最高!断捨離バンザイ!」という一面的な映画になっている訳ではない。新進デザイナーである主人公ジーンは実家をミニマルな個人事務所に改装する為に、家中に溢れ返ったモノを片っ端から捨てていこうと決意する。その余りにも容赦の無い捨てっぷりから、彼女が過去にこだわらないドライな性格である事が窺えるが、改装を依頼していた親友がかつて自分にプレゼントしてくれたCDを捨てていたのを見とがめられ、なじられたところから話の風向きが変わっていく。ジンはかつて、デザインの勉強の為にスウェーデンへ留学していた経験を持つが、その際に母国の友人たちと一切の連絡を取らなくなり、借りていたモノもそのままになっていた。一旦は丸ごとゴミ袋に詰め込んで処分しようとしていた借り物たちを、ジーンはこの機会にひとつずつ返していく事を決意する。そして、その中にはかつての恋人サムから借りっぱなしになっていたカメラも混じっていたのだった…
と、ここまで読んで、ははあ、そうするとジーンはこの後、借りていたモノを友人たちに返していく中で、モノに込められた想いや誰かと一緒に過ごした時間の大切さに気付いて人間的に成長していくんだろうな、といった反「断捨離」的物語を想像するかもしれない。私もそう予想していたのだが、本作はその様な分かりやすい結論に落着しないのである。ジーンが借りパクしていた大量のモノは、彼女が過去に置き去りにしてきた人々との繋がりの集積でもある。ジーンは借り物を返していく中で旧友やかつての恋人たちと久しぶりの再会を果たす事になるが、それをきっかけに新たな関係を築き直す訳ではない。むしろ、ジーンは借りていたモノを返す事によって、自分の抱えていた「罪悪感」をその場に捨てていたに過ぎない。モノと一緒に、それにまつわる己の感情すら捨ててしまえば、綺麗さっぱり過去と決別できるだろう。だから、彼女の贖罪的行為は、やはり「断捨離」の一貫なのだ。
ジーンがここまで過去と今の自分を切り離そうとする原因は、妻子を捨てて出ていった父との関係にある事が物語が進むにつれて分かってくる。ジーンはこれまでも父の記憶に苛まれ、苦しんできたが、決して父との思い出を振り切る事ができなかった。なぜなら、父は既に彼女の手の届くところにいないからだ。持っていないモノは捨てようがない。それどころか、逆に父にとってはジーンこそ「断捨離」の対象だったのである。従って、モノと一緒に他人との繋がりすら処分しようとするジーンの態度は、父に対する、ひいては過去に対する復讐なのだ。更に言えば、ジーンが捨てようとしていたのはモノでも友人でも恋人でもなく、自分ひとりでは片づけられない感情を持て余していた過去の自分なのである。モノを捨てる事で過去の自分と決別し、新しい人生を歩む。ミニマリズムを標榜し、なるべくモノを持たない(=他人との繋がりを持たない)様にすれば、もう傷つく事はないだろう。
しかし、そんな事が果たして可能なのだろうか。モノを間に挟んで、贈った者と受け取った者、貸した者と借りた者、両者の感情が結び合わされるのが思い出とか記憶であるとするなら、自分だけが一方的にそれを廃棄しようとしても、反対側の宙ぶらりんになった感情は、実はどこまでも追いかけてくるのではないか。
このモノをめぐる錯綜した関係性によって、ジーンは映画の終盤で手痛いしっぺ返しを喰らう事になるのだが、こうした複雑な心の機微、怒りとか哀しみとかいう一言で片づける事のできない感情の揺れを、ナワポン・タムロンラタナリットは的確なショットとリズムの良い編集、控えめ(ミニマル、と言ってもいいのだが)でありながらユーモアを湛えた演出によって、見事に描き切っている。相変わらず、その不愛想な表情に魅力を湛えるチュティモン・ジョンジャルーンスックジンの演技も含めて、大注目の傑作である。
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