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言い知れぬ恐怖の町のニューランドのレビュー・感想・評価

言い知れぬ恐怖の町(1964年製作の映画)
4.1
☑️『言い知れぬ恐怖の町』(4.1)及び『奇跡にあずかった男』(3.4)▶️▶️

 日仏学院はチケットの購入方法が変わり全く見れない人も出てきて私もその一人だった。モッキーはとにかく第一作目だけで後は平凡というのが、会期前も始まってよりも、周囲から漏れ聴くというか、直接にも聞けた一致した意見で、なんとかと思ったが、せっかく上映日と仕事かカブらない日があったのにどうしようもない。ところが、コロナ対策と経費節減で主催者が主体性もなくルースに選んだシステムに、一部綻びが生じてて、限られた作品のチケットが違法でもないがイレギュラーに手に入る事に。貴重な中川信夫一回だけとカブるが、移動も面倒で日仏を未知の作家の方を選ぶ。
 正直、驚いた。『ホット·ファズ~』みたいなトボケた規格ハズレ警官と、奇々怪々訳の分からない地方の町の絡む底なしコメディだが、ハッキリ言って今の時代の文句ないその秀作よりこっちのほうが格段に凄い。興行側や観客·或いは文化欄記者·ライターに対して応え、しっかりスッキリと創る気あんの?という作品。シナリオでも演技コントロールでも、構図·デクパージュ·カメラワークでも絶対凄い才能持ってるのに、それを極め誇る手前で規則的に手を退き、その度もくそもなく無意味·平板に溶け込んで退潮してゆくのである。話の主眼·身体や心理の現れ動き·犯罪の動機と結果、全てが求める所から滑ってゆく。そもそも死刑執行失敗·逃亡者を追うは再執行ないから大人しくと説得の為と·命令警察上司や同行警部と比べまるで熱がなく、町に着いてよりは目的をあからさまにしないので(その割には脇甘く正体などだだ漏れ)、町の人たちにも、恐怖の獣対策·殺人連続真犯人の暴き·偽札印刷機隠蔽アガキ、の方へ傾きなだれ込み、本人は(本当は雑用実績しかないのに)やり手名刑事とはやされ重宝·瞠目されてくフロック付きに·一方求めもされてない勝手余計身体動き出しパフォーマンス常習、という主人公のあり方が示すように、あらゆる映画的醍醐味·対象を絞り納得してくミステリー度、がなし崩し侭になり、あらゆる人物たちのモチベーションと表にでる行動の·希薄なイメージだけが、散りばめられ塗りこまれてく、しかし奇怪で面白くも感じられもなく·真に壮観というも可能な見たこともない世界の現出となる。メイン描写にどうにも比重希薄な人物のカットも寄りでドンドコ介入してくる。トンマ剥き出し·丸見えカットの挟みも、それを間抜けと言う我々が間抜けと逆に思い知らされる。破壊·否定しようにも元々のベースが余りに薄くノッペリしてて、しかし分析を放棄すれば、感触としてアルアルの確かなものなのである。
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 そこではJ=L·バローの様な重鎮も『コルドリエ~』ばりに染まりきり、同じようにJ·モローが女もくそもなく役にはまりこんだ30数年後の、保険金巻上げ詐欺攻防·教会(インチキ)内立場の訳分からない争い·牽制の絡んだ4~5グループの、ルルドへの奇跡の利用目指す列車の旅を描いた『奇跡に~』は流石に、カットの切返し·単独効率的もあるカメラワーク·スリリングアクション·ひとつのシーンの抑え込みの確かさ·ハーポ似せ等存分キャラ練り込み、が隙少なく塗り込められてて、『言い知れぬ~』の才気の秘めと敢えての凡庸はめの危うさから、映画として平明に成熟·力を抜いて一様に張り詰め豊かなものになっている。しかし、ここでも、展開の妙を括ったり·虚構性へ現実をぶつける異化効果ではなく、手術後の口のない漫画的顔·身障者らの生態·タイミング待たせ過ぎてトラック突っ込みいつしか·実際の塗料ベッタリ赤面顔·ストレートな欲の形ら·コミュニケーションの言葉外のなりふり構わずの力·ラストの奇跡の偽装が本当に歩行不能にや喋れるが英語での意外を超え素っ頓狂·奇跡の形を目の当たりにしてあっさり棄教、等々全てを振り切ってドラマやリアリティ離れたその侭の、本質の残酷さも気にせぬ剥き出し表現無意識性で、伊丹『タンポポ』の低次元の身につまされるみみっちさとは勿論、パゾリーニの大胆あからさまの飾り無し·解釈無し世界提出さえあっさりと超えている。それにしても絶賛の1作目、どこまで凄かったのか、改めて気になり始めた。ギトリとまでは行かなくも、あくまで軽くイージーで、遥かに常識内の我々を越えてるようだ。 
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