阪本嘉一好子

Khoda miad(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

Khoda miad(原題)(1995年製作の映画)
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『神の御名によって」から始まるマジッド・マジディ監督の作品は多い。実は私が鑑賞した全ての作品はこれからスタートする。彼は宗教色の強い作品を作る。こういう作品を鑑賞して神ともっと近づくか、ただ感激したといって涙を流すかは人による。実はマジッド・マジディ監督がイスラム教かどうか全然知らないし、調べてもみてない。彼は監督になる前、俳優であって有名なモフセン・マフマルバフ(محسن مخملباف, Mohsen Makhmalbafのボイコット Boycott (1985)などに出ている。もうちょっとマジディ監督の情報を収集していうべきかもしれないが、彼と、マフマルバフ監督はまるっきり別の道を進んでいる。個人的に両方の監督の作品に興味があるが、マフマルバフ監督の方が、宗教を超えて世界を一つにという思想の持ち主だし、幅広い作品を作るし、マイノリティー(収入格差、人種、男女など)に焦点を置きそれで、彼の作る映画によって社会を変えていってる実例があるので好きだ。

この作品は『神が来る』という意味で、神は人の手を通して誰かを助けるということで、祈りや善行は聞かれるから、善悪を見極めた(道徳)行動をして、神を一身に待つことで救いがやってくるということだ。全くその通りで、郵便局員が皆で金を出し合い助け合ってこの家族(母親の手術)を助けてあげるという話。しかし、郵便局員の人たちですら裕福な生活をしているわけではないが、自分たちより、貧しいものに対して、施しをあげることを知っている。
私はこの神の御技に感激するし、意味がよくわかる。しかし、原理主義がはびこるイランにとって、この監督の作品は国民の生き方の見本という形でいいプロパガンダになると思う。それに、神もコロナ(Covid-19)も目に見えないから、信じないで、神を広めるならいいが、好き勝手に行動して、コロナを広めないようにしてほしい。