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動画配信は2026年3月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
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目次
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庭師が配信されていないサービス一覧
『庭師』に投稿された感想・評価
きゃんちょめの感想・評価
2026/03/29 10:58
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【自然観について】
「自然」という、色々な中身が色々な人によって盛り込まれてきたのであろう概念、しかもいったん翻訳されてしまえば、文化や人ごとにその中身が全然異なっていたにも拘らず、「自然」という同じ語によって呼ぶしかなくなる概念を目の前にして、私はいつも途方に暮れる。自然とは何だろう。
「①自分からはなんの変化も起こさず、ただひたすら神様によって動かされるのを待っているような無力なチリアクタの総体」として「自然」を考えているひともいるだろう。自然は神様によって動かされている無力な「対象たち」だという考え方である。自然は受動的な物体たちでできていると考えるのである。電波を誰かが送らなければ、テレビは見れないように、神様がいなければ風も吹かず草も生えないのかもしれない。自然は外部からの入力を待っている静的なものだという考え方である。
①とは対極の自然観もありえる。自然とは「②変化が常であって、絶え間のない自発的な動きの中にあるものどもの総体」と考えてみてもよい。実際、身の回りで静止しているものを探してみよう。太陽だって天の川銀河の中心の周りを、秒速240kmという猛スピードで公転しているらしい。なにが静止しているのか、逆に分からなくなってはこないか。いま、あなたの心臓も動いている。呼吸する動物が静止することは、ほぼ不可能ではないか。ハワイも動いている。山脈も造山運動の只中にあるとすれば、すべては動き、プロセスの中にあり、それこそが通常であって、静止させたり、静止していると敢えてみなしたりすることのほうが異常なことのような気もしないか。川のように次々と新たなものになりゆく、おのずからの流れ、その勢いこそが、自然の正体であって、そんな自然を動かすどころか、止めることのほうに自然とは異質な力が必要なのだと言いたくなる。それほどまでに、全てが動いているように思われる。動くモノどもの動き方について、一見すると定まっているように見えるルールさえ、実は一時的な安定を言える場所、例えば実験室の中でそう見えているだけなのかもしれない。
しかるに、我々人間にとって、自然はどうあるべきかという観点から自然観を考えることもできる。自然は自分ではないものによって動かされるのを待っているだけなのか(=①)、それとも自ずから動いているのか(=②)、それはひとまずどちらでもいいとして、とにかく人間がその自然の中で唯一、自由であると考えるとすると、自然を人間の側の思惑とは違った独自の論理で動いていて、人間に猛威をふるってくる「③脅威」と捉えることになるかもしれない。「自然」と聞いて、津波や地震や伝染病をまっさきに想起する人もいるはずだ。自然を背後から動かしている者として、あえて神様を持ち出すかどうかはこの際、問題にしないとしても、とにかく自然のなかには謎の仕組みが不可視の裏面から仕組まれていて、人間の側の思惑とその仕組みとは時に対立する。神様が仕組んだのかもしれないその「仕組み」は、人間の思惑を時に阻んでくる。人間の思惑と自然の仕組みとの両者がコンフリクトを起こしたら、どちらがどちらを支配下に置くのかで競い合うということにもなるだろう。実際、科学者は、地震や津波や伝染病の起きる「仕組み」をモデル化し、それらを予言したり、発生機序に介入して制御しようとしたり、ついには根絶しようとしたりさえするだろう。自然の仕組みを人間が暴くことで、人間が徐々に自然をコントロールしていくべきだと考えることになる。
それに対して、人間と自然は競合するどころか、切り離して考えることさえ、そもそも間違いであって、「④人為と自然の両者は混ざり合っている」と考えることもできる。近代人たらんと欲してきた筆者は、③のような自然観を持って生きてきたようだ。しかし、生活者としての私は、自然をいつも「脅威」としてのみ捉えていたわけではない。森林浴をして「癒し」を感じる。また、③の立場に立って人為と自然との相剋を言ってみせるなら、私は自然から隔絶できていないといけないはずなのだが、自然から隔絶していられる時間など、ほとんどない。断食を試みても数日で限界を迎えるし、計画を立てても、滅多にうまくいかない。だから、「なるようになるさ」という怠惰な運命論にさえ魅力を感じてしまう。他方で、自然の側が人間から隔絶してあるのかどうかも、疑わしい。コシヒカリやトイプードルやニホンライチョウが自然物なのかといえば、疑わしい。人間の影響下にない自然環境など、あるのだろうか。花粉症は人災なのか天災なのか。人為と自然との相剋的理解には、「手付かずの自然」と、「征服者としての人間」が必要なのだが、そのどちらもが無いように思われる。人為と自然との相剋は、ただの観念でしかなく、私にとって身近なのは、「時々人間に逆らえるかもしれない自然」と「時々自然に逆らえるかもしれない人間」の二者でしかない。つまり、実際には、自然的人間しかなく、人為的自然しかない。人間が自然を支配することなど土台無理であり、かといって、自然に支配されるべきでもなく、むしろ自然と「④共栄」していくべきだという考え方もあり得るのではないか。人間を自然の一部と捉えて、人間が自分を含めた自然全体と相互に助け合いながら繁栄することを、最も自然が全体として活き活きとしている状態だと考えるのである。
ここまで4つ、自然観を並べてみた。①と②は、静的か動的かという対比を成し、③と④は、人間との関係に着目し、競合か共栄かという対比を成している。まこと、自然という概念は錯綜していて、よくわからない。では、そもそも私はなぜ「自然」について考えなければならなかったのか。それは、「庭」について考えていたからである。庭とは、自然から人間が切り出して囲いをつくった空間だという。そうだとすると、庭がどういうものとして概念化されてきたかを考察するには、そもそも自然がどんなものとして概念化されてきたのかを考えるのが筋だと思ったのであった。とりあえず、このような多様な自然観を背景にしながら、庭についても多様な庭観が現れてくるであろうことは容易に理解されたと思う。
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Zealotの感想・評価
2020/05/11 16:59
3.5
☆ ドキュメンタリー/ ドラマ
#ドキュメンタリー2010sZl
#撮影MaysamMakhmalbaf
#音楽PaulCollier
#音楽SalarSamadi
#編集MaysamMakhmalbaf
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阪本嘉一好子の感想・評価
2020/04/21 02:39
5.0
親(モフセン マフマルバフ監督)子(メイサム)でバハーイー(バハイ,Baha’i) 世界センターを訪れてそこで信者にあって話を聞く。父親はバハーイーを体験してみるが息子のメイサムは反感を。うまく言えないが、キリスト教でもあり仏教徒でもあり、ゾロアスター教徒でもあるといい、バハイの気持ちになっている(なってみている)と言ったほうがいい。
二人はイスラエルのハイファの本山、世界センターに行く。イランで始まったこの宗教は布教を禁止され、迫害にあって教祖バハー ウッラは牢に入れられたりした。その後イスラエルに追放されて、放免され、そこで、バハイを。
モフセン監督はイランのマイノリティーに力を入れているようで、『ギャバ』、『サイレンス』、そして、『庭師』と、ここではバハー
イーを興味深く紹介しているだけでなく、自分の宗教感もここに表している。
知人にバハイはいるが、この宗教の詳細は知らなかった。監督の目的は宗教の紹介や勧めではない。息子と違って宗教に反対しているわけでもない。息子は現代社会で宗教は必要ないといって、自分に頼る、自分で行動できるとしている。よく聞く話だ。メイサムはモフセン監督にバハイを奨励するためこの映画を作成しているのか聞くところがある。そして、社会正義のテーマではじめたんじゃないのとも聞く。監督は、信仰のため迫害され亡くなった人々を訪問してるという答え方をする。(ちょっとわすれた?)
監督は宗教が破壊的暴力を持つことに反対している。例えば彼の出身であるイランの核実験、バハー ウッラーの迫害や宗教争い やタリバン、アルカイダ、モスリムの自爆(特攻)などを否定している。そして、宗教の力は平和と友好に向けられるべきだとしている。皮肉にもこの二人が撮影したり、話し合っていると、宗教の本来の姿である、平和と友好を示しているような気がする。
ある信者の言葉が気に入った。
人間の心は鏡だで、時々、埃りに覆われている。我々人間はこの鏡を努力して埃をとり綺麗に磨く必要がある。そうすると、(我々の心は)美と光で輝く。モフセン監督は輝いている鏡を胸に持って美しい景色を見せながら歩く。(素晴らしい撮影のしかた)また、海に出て荒波(困難な時の人間の心)も鏡に映す。
エンドロールのちょっと前に、エルサレムから戻り、モフセン監督を探していたメイサムは父親を見つけて一緒に歩いていく姿を見せて、映画が終わった。勝手に解釈しているが、この意味は、宗教に対して全く意見の違う二人が一つになっていく意味だろう。メイサムは2度も父親を探すが、これは何か我々の人生に求めているものがあるのではないかと暗示していると思う。
バハイは信者曰く、ジェンダーにも人種にもとらわれず、すべての宗教は一つのものと考えられると。
監督はそれぞれ違う宗教があって、それで、戦争になるなら、宗教はない方がいいと。
#バハーイー#モフセンマフマルバフ#庭師
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