Uえい

太陽がいっぱいのUえいのレビュー・感想・評価

太陽がいっぱい(1960年製作の映画)
3.5
ちょこちょこと言及される事が多い本作だが、なんだか見る気になれない状態が続いていた。原作者はパトリシア・ハイスミスで、「見知らぬ乗客」や「アメリカの友人」も映画化されていて有名だ。本作は「リプリー」として1999年にマット・デイモン主演で再映画化されている。

お金持ちのフィリップと恋人マルジュはイタリアの別荘に暮らしていた。そこにトムという青年がやってくる。フィリップの父の依頼でアメリカから彼を連れ戻しに来たのだった。

フィリップは傍若無人でトムを使い走りのように扱うが、トムはお金がなく従うしか無かった。しかし段々とフィリップに成り代わりたいという歪んだ愛と、理不尽に使われる事への憎悪が膨らんでいき、とうとうヨットからフィリップを落として殺してしまう。この欲望は、フィリップの服を着て鏡に向かって彼の真似をするというイメージで示されるのだが、何とも気味が悪く印象に残る。

その後は、フィリップに成り変わるが、行き当たりばったりの対応が多く、だんだんと追い詰められていく。何とか危機を回避し、とうとうマルジュの心も手にしてしまうのだった。後半の計画のなさからくる逃亡やアリバイ工作する様は、計画の無さが逆にハラハラさを増幅させていて面白い。

イタリアの綺麗な海や街並みとして太陽の日差しがとても良い。そんな綺麗な中で、だいぶ雑な犯行が行われるのがギャップで印象に残った。

フィリップの友人を殺した時、自分じゃない、彼がやったんだと言っていて、成り代わりたかったけど成り代われていないように感じた。それとも元々そんな気持ちはなく、お金や恋人など彼の持ち物が全て欲しかったのか。お金も恋人にあげてしまい、最後にはマルジュだけを手に入れるが、彼女への愛がそうさせたのか謎が残る。最後、ヨットにフィリップの死体が繋がれていたが、序盤にボートで放置されたトムと重なる。マルジュと名付けられたヨットにはフィリップが繋がれていて、トムは放置された時と同様に太陽に照らされている終わり方は何とも言い難い気持ちになった。
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