太陽がいっぱいの作品情報・感想・評価

「太陽がいっぱい」に投稿された感想・評価

s

sの感想・評価

4.0
カラーのアランドロン初か
太陽の下のボートでのトランプ 手元だけの画がすごいよい
フレンチノーアルからアランドロン入ったから、最初の情けない姿に困惑したけど、やっぱり眼がやばい とにかく暑そう
ルネ・クレマンの代表作というよりアラン・ドロンの代表作というイメージの作品。

映画に興味を持ち始めた頃に初めて見たけど、ギラギラした太陽と海上の事件と哀愁あるニーノ・ロータのテーマ曲、そしてアラン・ドロンの魅力的な姿は未だ記憶に残り続けており、特にあの妖しく輝く眼光には後に世界的スターと呼ばれる所以と説得力が秘められていた。

アラン・ドロンの姿を追っているだけであっと言う間に終わってしまう、アラン・ドロンの魅力で成立しているところも多分にある作品。

ジョジョで他人と入れ替わる吉良吉影の元ネタも、筆跡の矯正シーンがあることから、おそらくこの作品だろうと思われる。
そがべ

そがべの感想・評価

3.4
アランドロンが死ぬほどかっこいい。どんな俳優よりもダントツでハンサム。
しかし犯罪の詰めが甘すぎてわろた。

あと改めてイタリア映画の音楽好きだなあと思った。
アラン・ドロンがとにかくイケメンすぎる映画。リメイク版の「リプリー」よりこっちの方が好き。
主人公トムが欲望と嫉妬から完全犯罪を目論むお話。ラストシーンの笑顔が切ない。
2018年の午前十時の映画祭で鑑賞。初アラン・ドロン。まさにハンサム。現代の私からみると、犯行が雑なのでは?とか詰めが甘いのでは?と感じて「もっと、しっかり!!」と思いながら鑑賞していたが、トムの本当の望みを知ってからもう一度観れば、また別の感想になりそう。
asa

asaの感想・評価

3.6
サスペンスだと知っていたので
どうしてこのようなタイトルなのか
ずっと不思議でした。

アランドロンがとにかく素敵。
鑑賞中終始 見惚れるほどに美しい。
現代の目で見ても間違いのない
美青年でした。作品自体は
かなり古いものなので
苦手な方もいるかもしれませんが
その時代のものとして
割り切って見る事さえ出来れば
楽しめる内容です。

若かりし頃のアランドロンを
堪能出来るだけでも一見の価値は
ある事と思います。
けいこ

けいこの感想・評価

3.4
アランドロン美男子‼︎
観ててハラハラして疲れたw
最後の終わり方が何とも言えない。
kou

kouの感想・評価

4.5
ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演。まずアラン・ドロンの美しさ。物憂げな表情で繊細でありながら、生命力あふれる身体と動き。男の目から見ても惚れ惚れする。その美少年が完全犯罪をするさまを描き、とてもサスペンスフルであり、ストーリーに引き付けられる。

青年リプリーがフィリップへの羨望と嫉妬、愛憎入り混じる思いから完全犯罪を成し遂げようとする。アラン・ドロンが計画を成し遂げようとするピカレスク・ロマンに引き付けられる。サスペンスフルであり、見ていてとても面白いのだ。そして舞台も豪華。華のある映画であり、名作であり、ストーリーも見事。
まり

まりの感想・評価

4.0
絶対のしあがってやるぞ的なオーラを纏ったアラン ドロンが良い。
yoshi

yoshiの感想・評価

5.0
評価するなどとても失礼に思える、個人的に殿堂入りの神レベル映画。
TV、リバイバル上映、DVDと見た回数は10回以上だろう。
ニーノ・ロータの名曲と共に、アラン・ドロンの出世作として有名な作品。
サスペンスとして脚本の秀逸さはもちろん、様々な考察と余韻を残す映像美。
そして撮影当時24歳のアラン・ドロンの美しさに圧倒される作品です。

ストーリーを簡単に書くと…
金持ちの友人を殺し、その友人の身分を乗っ取って、財産を独り占めしようとする貧しい男のピカレスクロマン。

後は映画を見ていただくとして…
私がここで語っておきたいのは、この作品はアラン・ドロンという役者が居てこそ成功したのだということ。

アラン・ドロンという俳優の大きな特徴は美と醜の同居です。
甘い端正なマスクの中に際立つ、ギラギラした野生的で野望を秘めた視線。
そしてその痩けた頬のあたりにこびり付いて消えない育ちの卑しさと不幸な生い立ち。

それが或る種の陰を帯びて、悪に惚れてしまう女性の心理をくすぐり、大多数の労働者階級男性に、ああなりたいという憧れを抱かせたのです。

そこら辺の掃いて捨てる程いる単なる美男子の役者と決定的に違う所です。
「ハンサム」とは彼のためにある言葉でした。

この作品のドロンの役は、トム・リプリーという貧しいアメリカの青年で、金持ちのボンボン、フィリップの中学時代からの仲間という設定。
フィリップの父親の依頼で、遊び呆けてるフィリップを連れ戻す為にイタリアへやって来ます。

仲間と言っても貧富の差が、そのまま力関係となっていて、トムはフィリップの子分というか下僕のような存在。
横暴な主君フィリップに卑屈に従いながら、いつしかトムはフィリップに対し、ドス黒い野望を胸に秘めるようになります。
それは、フィリップを亡き者にした後、彼に成り済まし、その財産を自分のものにしてしまう計画。

まさに底辺の仕事でもがいていたドロンにとって、これ以上ない程ピッタリの役。

トムの姿は、そのまま当時のドロンそのものだったんじゃないでしょうか?
はまり役というか、その後のドロンの映画が犯罪者役が多いのも、この役の強烈な印象があったからだと思います。

考察の1つとしてこの映画はホモセクシャルの映画だと言う説があります。

フィリップという男は、自分の財力(親の財力)に引き付けられ寄って来たトムを下僕のように扱う内に、自身の内側にあったサディズムに目覚め、それを使える相手としてトムを選んだのではないでしょうか?

そこには、亡き淀川長治先生が語ったことで有名な同性愛の匂いがします。

トムが胸に秘めていた計画を実行に移す切っ掛けは、フィリップのサディズムが一線を越えてしまったという事も有りますが、より多くの主因は「痴情のもつれ」だったと言えなくもない。
 フィリップにはマルジュという婚約者がいて、親の金で暮らしているフィリップは世間体もあり、マルジュと付き合うに連れ、トムが邪魔になります。

3人で出掛けたヨットでのクルージング。フィリップは狭いヨットの中という閉鎖空間で当て付けるように、トムの前でマルジュと親密にします。
その上でトムがフィリップを殺す下りが、彼の嫉妬による三角関係の「痴情のもつれ」に見えてくるのです。

公開当時、同性愛がタブー視されていただけに、フィリップを殺す動機が愛憎の果ての行為に見えてしまい、ドロンの危険な魅力を一層際立たせています。

私がこの映画でドロン(トム)の卑しい育ちと秘めた野生を象徴し、強調していると思うのが、彼が何かを食べるシーンの数々。

フィリップとマルジュがキスしているのを横で見ながら、ナイフで荒々しく削ぎ落としたハムを頬張るシーンは、ドロン(トム)の普段の食生活を想像させる。

フィリップを殺した後にフルーツにかぶりつく様は「ざまぁみろ!お前なんかこうしてやる!」という貧民層の荒々しい征服欲の成就を表現していたように思える。
禁断の果実である林檎を食べた瞬間のアダムのような、ある種の神々しささえ感じられる。

そしてフィリップの友人フレディを殺した後にチキンにむしゃぶりつくトム。
再び殺人を犯してしまった自分を落ち着かせるべく、頭に登った血を下げるため、またはこれから行う死体処理に向けて、力をつけるために、彼はチキンを無心にむしゃぶりつく。
そこにはある種の犯罪者としての冷徹さを私は感じるのです。

トムが何を考えているのかを、その食べ方だけで表現しようとしている。
ルネ・クレマン監督の心理描写の巧みさに感心せずにはいられない。

誰しもが若い頃は貧しく、血気盛んで、野望に燃える。

それを言葉ではなく、行動で見せる美しいドロン。
私は今もこの映画を見ると、ドロンに若き自分を投影し、恥ずかしながら未だに青春を感じてしまう。
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