よふかし

あのこは貴族のよふかしのネタバレレビュー・内容・結末

あのこは貴族(2021年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

オンライン試写にて。
東京生まれ東京育ちで裕福な家の家事手伝いをしながら結婚相手を探す華子と、進学のため上京するも学費の問題で退学し様々な仕事をしながら1人で暮らす美紀。
同じ東京にいても別の世界で暮らす出会うはずのなかった2人が幸一郎という男を介して出会う事となる。

一見対極にいる2人に見えるのだが、この映画を観ていると華子に対しても美紀に対してもたくさんの「わかる」部分が出て来る。私達は常日頃から大なり小なり、出身地、学歴、家柄、職業、年齢、男だから女だから…などで区別したりされたりして生きている。自分が言われて嫌だったことだけじゃなく、「どうせあの子は私と違ってお金持ちだから」などと誰かに対して思ってしまった自分の経験も思い出す。
序盤こそこれらの「違い」が人の人生を決めてしまっているように見えるが、中盤で「世の中は女を対立させたがるけど、女同士で対立する必要なんてない」と華子の友人がはっきり言ってくれていたように、「違」っていても悩みの根本はだいたい似ていてみな懸命に良い方目指して人生を生きているのだと言う「同じ」部分を、遠くにいた2人の距離が少し縮まるストーリーで描いていた。

華子が幸一郎と婚約して初めて「上には上がいる」ことを知るのは、逆「パラサイト」とでも言いたくなる。
自分が当たり前と思って生きていた「東京」はあくまで一面的なものに過ぎなかったのだ。
さらに華子は美紀との出会いによってまた違った「東京」を知る。
と同時に良くも悪くもどこにいたって変わらないものがあることも美紀から教わる。
「地元の子達はみんな親をペーストしたような人生送ってる。うちの地元とあなたのいる世界って結構似てるよね」、「どんな環境で生きていても幸せな日があれば泣きたい日もある。良いことも嫌なことも今日あったことを話せる人がいたら素敵なこと」…
美紀と話をした後、今まで常にタクシーで移動していた華子は雨の中を歩いて帰る。
「雨男」の幸一郎のお陰で作中で何度も降り続いていた雨は華子が家に近づく頃遂に止む。畳んだ傘を片手に、ふと目が合った自転車「2ケツ」の見知らぬ女の子達に遠くから手を振って、華子は緩やかな下り坂を自らの足で歩いていった。
親や家族の望む道こそが幸せの形だという固定観念から解放され、華子の上に降り続けた「幸一郎」と「青木家」という名の雨が止み、いつも誰かに運転してもらっていたタクシーに乗るのを止めて自分の足で「貴族」という高い場所から少し下の方へ向かって歩くという、華子の変化が感じられるとても印象的で美しいシーンだった。
物語の最後、離婚後ヴァイオリニストの友人のマネージャー業をするようになった華子は、演奏会で政治家として活動し始めた幸一郎と再会する。
演奏を聴く時でさえも幸一郎は華子より高い所にいる。華子が顔を上げると階下の演奏を聴いていた幸一郎と目が合う。静かに微笑みを交わす2人の立っている世界は隔たったままだが、その微笑みには互いの人生を静かに応援するようなあたたかさが感じられた。

岨手監督は好きな映画「グッド・ストライプス」を撮った方だなーとうっすら意識しながら観たのだが、作品を観終えて納得。「グッド・ストライプス」は、東京出身の男性と地方出身の女性のカップルが妊娠からの結婚をきっかけに自分と相手の人生に向き合っていくストーリーで、テーマにも登場人物の優しい描き方にも本作と共通点があって、改めて岨手さんが好きな監督になった。
監督は登場人物一人一人の事情とか気持ちとかをバランス良く撮ることが得意な方だと思う。(原作は未読なのだが)責められるべき悪役にもなり得た幸一郎を、彼も生まれた時から決められてしまっていた人生を少しでも上手に渡っていこうと奮闘する1人なのだと思わせてくれる場面を入れることで、男女で対立させる事もなく1人の魅力的な登場人物として仕上げた所がすごい。

演出の都合上仕方なく作品には描かれていなかった真実があることを私は知っている。実際は幸一郎のような男はLINEの通知を「一件のメッセージがあります」とだけ表示するように設定してあって、パスワードを入力しないと本文内容が読めないようになっている。寝ている間にスマホを見られるなんてことはしない。絶対にだ。
よふかし

よふかし