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あのこは貴族のワンコのレビュー・感想・評価

あのこは貴族(2021年製作の映画)
4.3
【時代の雰囲気、フィクションのピースを生きる人、生きたい人】

この作品のテーマは、女性の生きづらさなのだろうか。

このレビューは、実は、映画を観終わった後で考えれば考えるほど、堂々巡りになるものだった。

逆説的な意味もメッセージにはあるのではないかと考えたが、世の中の評価がどうなのかは全く想像はつかない。

実は、生きづらくさせているのは、もしかしたら、僕達自身なのではないだろうか。

僕達は、皆、それぞれのフィクションのピースを生きているのかもしれない。

この映画がフィクションだからと云う意味ではない。

都会、田舎、階層…。
これらのカテゴリーに応じて作り上げられたイメージがフィクションではないのかと思うのだ。

美紀が、東京タワー見上げるベランダで、華子に、あなたの世界とうちらの田舎はおんなじだね、と笑って言う。

そう、よく考えたら、大差ないのだ。

予告映像でも使われていた、華子が自転車の美紀を呼び止め、美紀がキッと急ブレーキをかけるシーンは象徴的だ。

一度立ち止まって、周りを見渡してみれば、きっと、自分たちの作り上げたフィクションの世界が、そこかしこに転がっていて、大した意味もないことに気付くかもしれないし、そして、自分自身を再び見つめ直すことも出来るかもしれないのだ。

「貴族」という言葉のギクっとさせられる響きの一方、日本には貴族なんて存在していない。

カズオイシグロの「日の名残」に出て来る執事が仕えているのは貴族だが、ここに出てくる貴族は、実は、ちょっとしたお金持ちっていう程度のはずだ。

玉の輿に乗りたいとか、セレブになりたいとか、そんな幻想の上に立ったイメージが、ここで云う貴族なのではないのか。

自分より裕福な人をいちいち貴族と呼んで、自分の境遇を蔑んでも意味はないように思う。

南禅寺界隈の別荘地だって、個人じゃ維持は出来なくて、企業所有になったり、外国人の大金持ちに売却されたりする時代なのだ。

僕はいろんな家族を見てきた。

余談も交えて話すと…、

具体的には言えないが、ものすごく長い歴史を刻んだ家族は極めて常識的な人達で、人を蔑むような発言をしたのを聞いたことはないし、世の変化に翻弄されながらも、必死で生きている気がする。

一方、政治に深入りした家族の方が、この映画でもそうだが、どちらかというと貴族的に振る舞いたがる傾向が強いように思う。

過去に事業で成功したものの、その後の新たな事業展開や投資など上手く行っておらず、政治に接近して、自らも政治の世界に足を踏み入れたような感じだ。

財産分与の争いもあるし、大事件に発展した事柄だってあった。

華子が婚約の挨拶で、会食の部屋に詰(にじ)り入るシーン。
あの作法は、もともとは茶道のもののはずだ。
茶道のお手前としてならまだしも、普段から、あんなので自分が値踏みされたら面倒臭いだろう。

まあ、僕のくだらない余談は横に置いておいて、この映画を観た人が、アフタヌーンティーをする人に、「貴族ぅ〜」とか言うようなことがないように祈る。

これは、女性や田舎出身者の生きづらさではなく、フィクションの世界を自分で作り上げて、その中で生きづらいと思っている人の物語だと、だから、踏み出してみなよというメッセージなのだと、僕は改めて思う。

作者の本当の意図が何なのか見えづらかったが、門脇麦さん、水原希子さん、石橋静河さん、山下リオさんは、なんか良かったのでプラス。
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