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スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースの鑑賞者のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

こんにちは。スパイダーマンがロールモデルのお兄さんです。

ついに来た。スパイダーマンの本質を省みるときが。

やっぱりスパイダーマンはすごい。そのキャラの本質を問い直すなんて営みに耐えうるキャラが他にどれほど存在することか。そもそも本質すら持たないキャラに溢れた世界で。

トム・ブレブールトは「スパイダーマンのコミックの中核は、ピーターの人生と苦悩の物語である」と言う。主人公はスパイダーマンではなく、ピーター・パーカーである。
本作はきちんとその線に沿っている。マイルズがスパイダーマンの定めに抗うということは、スパイダーマンとしてではなく、マイルズ・モラレスという1人の生身の人間としてのみ可能である。(スパイダーマンを否定する主体は非スパイダーマンでなければならないから。)
そして「苦悩の物語」という点に関しても、本作は逸脱していない。というのも、スパイダーマンとして運命づけられた「苦悩の物語」に抗おうとすること自体が、またひとつの「苦悩の物語」に過ぎないからである。
スパイダーマンであるとは苦悩することである。

何がスパイダーマンをスパイダーマンたらしめるのか。それは、スパイダーマンの悲劇性であると私は強く思う。スパイダーマンはもはや喜劇/comedyとしてのコミック/comicではなく、真正の悲劇/tragedyである。(その意味でスパイダーマンは単なるサブカルの域を超えている。)スパイダーマンのユーモアはこの悲劇性を強化する要因にすぎない。そしてこの悲劇性は「カノン事象」において最大限に発揮されるのだから、スパイダーマンはこれらから逃れることはできない。(もし、従来のカノン事象以上に悲劇的なイベントがあればそれでも良い。)

以上が私の回答だが、制作陣が次作でどのような答えを示してくれるのか、非常に楽しみだ。

p.s.
「カノン事象」=「フラッシュポイント」。同日公開の2作品が、「変えられないものを変える」という題材を共通に扱っているのはなかなか面白い。
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