ゆう

アイダよ、何処へ?のゆうのレビュー・感想・評価

アイダよ、何処へ?(2020年製作の映画)
3.4
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争自体は知っていましたが、このようなジェノサイドが行われていた事は恥ずかしながら知りませんでした。
ルワンダの虐殺と同時期に、違う場所で同じような悲劇が起こっていたとは。
歴史から学び同じ過ちを繰り返さないなんて言うは易しだが、民族的立場、宗教観の違いや、国家介入と言った条件が揃えば、人は容易く残酷になれてしまうという事を肝に銘じておかなければならない。なにも特別な事ではなく、誰でも陥ってしまう危険性があると言うことを。

『ホロコーストの罪人』でも感じたことだが、つい最近まで隣人として、学友として仲良くしていた人達が、突如今までの絆や縁が最初からなかったかのように振舞われる恐怖。
交渉の場で、ムスリム側の民間人とセルビア側の軍人が同じ学校に通っていたと世間話をしながらも、話は虐殺の方向へ静かに向かっていく様が非常に恐ろしかった。

そして、虐殺のシーン。
銃声が鳴り響くまさにその場所で、セルビアの少年たちがサッカーを興じているという、相反するあのシーンが頭にこびりついて離れない。
実際にあのような場面が当時あったのだろうか。
昼下がりにサッカーを興じるというごく普通のありふれた日常に、銃声と虐殺が溶け込んでいる。こんな悲惨な事が世の中にあるだろうか。
血が流れたり死体が映ったりといった直接的な映像はないが、むしろ効果的に戦争の悲惨さを伝えられているのではないかと感じる。

『アイダよ、何処へ?』というタイトル、基本国連基地内でストーリーが進むため、"何処"にも行かないのだが、なんでこのようなタイトルが付いているのか不思議だった。
しかし、ラストシーンを見て腑に落ちる。

内戦が落ち着き、アイダは住み慣れた町で教職に復職するわけだが、そこには虐殺に加担した兵士がおり、妻を娶り、教鞭を振るう教室には彼らの子供がいる。
家族を失ったアイダが、見つめる視線の先には純粋無垢なその子供達がいるわけだが、その目の焦点が"何処"に合っているのか分からないのだ。
復讐に燃えているわけでも、絶望しているわけでも、子供たちに希望を見出しているわけでもなく、ひたすらに虚無なのである。
ヤスナ・ジュリチッチさんの目で語るあの演技は本当に素晴らしい。
虚無に苛まれた彼女が"何処へ"向かうのか。そういったテーマを残して映画は終わる。
秀逸な着地だと思う。

現在も家族の骨が見つからず、採掘とDNA鑑定を待ち続けている人がいる。
虐殺から生き延びた人も、不眠とアルコール依存で心に深い病みを落としている人がいる。
エスニッククレンジング下で、レイプされ続けた女性がいる。
終戦から26年、まだまだ現在進行形の問題である事を忘れてはならない。
ゆう

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