Foufou

親愛なる同志たちへのFoufouのレビュー・感想・評価

親愛なる同志たちへ(2020年製作の映画)
2.4
ちょっと本作を撮ろうとした作り手の意図がわからない。

この直前に観た『ニトラム』もそうなんだけど、あれの下地になった銃乱射事件が起きたのが1996年で映画公開が2021年。15年開いているというのは、何かあるわけですよね。おそらくは銃規制に関する法改正か何か。で、作り手は映画が現実にコミットする強力なツールの一つだと信じている。戦意高揚映画を撮るのと根本的には変わらない映画への眼差し。

では本作はどうか。材は60年代のフルシチョフ政権下のソヴィエト連邦。労働争議に対し軍が(KGBが)発砲し、多くの市民が銃弾に倒れた、それを時の政府が隠蔽するという事件を扱った映画。史実として、それは「起こった」ことなのでしょう。しかし映画が真実を暴いているかどうかは、これはもう、検証しようのないことで(文献に当たって事実関係を調べることは可能でも、視点人物の物語はどのようなフィクションであっても許されるわけ。なぜなら「映画」だから)。

映画を観て、時の共産主義政府は誠に酷いことしやがる、とはちょっと私はならないわけです。主人公の女がスターリンを懐かしんだり、女の父親がコサック兵の制服を櫃から取り出して着て鏡の前で敬礼してみたり。で、娘から、そんな格好してたら捕まる、と言って嗜められる。

60年代のソ連の状況はああで、コサック兵とか白兵とか赤兵とかって当時はこうで……とか、したり顔して言うのもなんだかね。映画を観たいという欲求は、歴史のお勉強にすり替えられて、砂を噛む思いをするのがオチ。60年代のソ連の状況を知りたければ、何も映画=フィクションに頼る必要はないわけで。

じゃあ、なんでDVDを手に取ったのよ、といぶかられて当然。鑑賞する側の問題が俎上に載せられてしかるべきです。ロシアの巨匠、とまずはパッケージにあったからです。黒澤明の脚本を換骨奪胎した『暴走列車』の監督さんだからです。そういえばこの人の映画、観てないな、と。ん? 2020年公開で御年83歳? どんなもの撮ってるんだろうという、半ば冷やかし。

こうしたノンシャランな鑑賞者と、なにやら60年代に出来した事件に特別な思い入れがあり、それを材に取った映画を人生の晩節にあってリリースしようと考えた巨匠と呼ばれる作家の作品が、たまたま出会う。映画史とはなんなんだろうとふと思うわけです。観る側のものか、作る側のものか。観る側は、なんで、今、60年の虐殺事件? と素朴に思っている。プーチン批判とも擁護ともなり得ない。それともスターリンを再評価することに現在のロシアとコミットするに足る何かがあるとでもいうのか。調べればわかることなんでしょうけど、映画ってそうやって観るものなのかなぁと、またまた素朴に思うわけですよ。

しかもね、虐殺の酷さを映画はかなりの尺を使って描くのだが、こちとらアクション映画を観慣れているから、映像表現における残酷さについてはかなり鈍麻しているわけですよ。だから、ちょっぴり冗長だな……なんて思ってるわけ。虐殺をリアルに描こうとして観客にそう思わせるって、映画の力を矮小化しないかと危ぶんでみたり。で、極め付けは、主人公の女の娘が事件の日を境に家に帰らない、と。当局は血糊の浮いた路面を再度アスファルトで吹くまでして隠蔽しようとしているから、死体も方々に分散してテキトーに埋めさせて口止めしている。母親としては娘が発砲に巻き込まれて死んだにしても、死体を見るまでは、と半狂乱になる。スターリンを信奉するゴリゴリのコミュニストですよ。争議に加わった労働者全員を逮捕すべきだと豪語した当の本人ですよ。これが娘の死という、あらゆる教義信条が無効となる地平に立たされる。ね、ものすごく文学的でしょう。物語の力が素朴に信じられているわけ。観ている側はね、ああこれでようやく映画らしくなった……なんて、やっぱり思わない。

市政委員会の会議とか、争議をどう鎮圧するかをめぐる共産党幹部の話し合いとか、見てると日本企業における情実人事やら責任のなすり合いやら上司を欺くための隠蔽工作やら、もうおんなじだな、と。すると、ああ、問題の根本は体制とか主義主張じゃないのかも、と思っちゃう。銃の規制ひとつとってもそう。諸悪の根源は、ひとえに利権を守るために人間が組織する構造(デフォルト)なんだろうなぁ、と。そういう意味では勉強になるけど、私が映画に求めていることはそんなものではない。

こちらが求めているものとは全然違うものを映画の名の下に提供して飯が食えていることの不思議ですね。まぁ、83歳の巨匠であれば、なにを撮っても文句なんてありっこないんですが。

耐え忍べばいつかは終わる、いつかは終わる、明けぬ夜はない……。こう自分に言い聞かせ続けた20世紀だったと、ロシア人なら言うかもしれない。そうして培われたメンタリティは、そうそう折れるものではないのだろうと容易に想像されもする。いっぽうで、あれだけ虐殺と追放を繰り返していると、おのずと人命の重さの印象が変わってくるのかもしれないなぁ、と。
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