菩薩

水俣曼荼羅の菩薩のレビュー・感想・評価

水俣曼荼羅(2020年製作の映画)
5.0
なにせ3部構成6時間越え、登場人物も多岐に渡るとあり語るべき事は多々あるのだが、その中でもこの映画の象徴となるべきシーンを挙げるとなれば、やはり喜びのあまり泥酔しせっかくの報告会で放送禁止用語を口走る二宮先生(に冷たい視線をぶつける後ろの席の女性…)の一幕であろう。あの一瞬の不協和音の後での「ぼくは嫌だ」の一言は全ての思いを集約した重要な瞬間であった様に思える。土本作品と比べれば当然原告勢の高年齢化は深刻なものであり皆一様に歯が抜け落ちているが、それでものらりくらりと責任をたらい回し「死人に口なし」のその日が来るまで逃げ切りを図ろうとする行政に対して必死に喰らいついていく。水俣病の象徴たる「怨」の字もかつてはその旗を掲げていたはずの人々の圧も弱まり、老い先短い人生を許しの中で生きようとする者、目の前に提示された僅かばかりの一時金と共に涙を飲もうとする者達も多々出てくるが、海の底に沈殿した消えないメチル水銀の様に、変わらず強い意志と薄れぬ怒りを持って次世代の為の闘争を継続し続ける老いたる者とそれを支持する新たな力を持つ者達がいる。これは何も水俣病に関してだけの事では無い、本来国を守る為に働くべき官僚・政治家は決して国民を守ろうとする者ばかりでは無いと言う事実。前例主義は今目の前に存在する「責任」を鈍らせ、その責任を負うべき当事者の加害性を掻き消していく。精査致します、お察し致します、返答は控えさせて頂きますと軽々しく放り出される心のこもらぬ文言、目の前に提示された圧倒的な事実を前にしても容易く「私のせいでは無い」が滲み出てしまう彼等と対峙し続けるのは生半可なことでは無い。原因と結果とが180度反転しそれを暴いた張本人にむしろ「後退」とまで言わしめる現在の水俣病を巡る状況であるが、今尚続く闘争の最前線では命の火が燃え続けている。これは人間が人間である為の終わらぬ闘いである。
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