水俣曼荼羅の作品情報・感想・評価

水俣曼荼羅2020年製作の映画)

上映日:2021年11月27日

製作国:

上映時間:372分

4.4

あらすじ

監督

『水俣曼荼羅』に投稿された感想・評価

はま

はまの感想・評価

3.8
くだらないメンツのために当座凌ぎを繰り返す医師と行政に呆れる
数十年に及ぶ闘いがたったの紙切れ一枚で否定される虚しさたるや
とりこ

とりこの感想・評価

3.8
くだらない面子のために自らの過ちを素直に認められない医師、立場が悪くなると当座凌ぎで認定を出して病像論の本質から目を逸らし続ける行政、意味の分からない被害者意識が滲む御偉方が責任をたらい回しにし続ける様には心底辟易した。数十年にも及ぶ闘いがたったの紙切れ一枚で簡単に否定されてしまう現実の虚しさたるや。痺れを切らして和解を選ぶ人も続々と現れる中、断固として闘うことを選び続ける人々の精神力に脱帽した。
bombsquads

bombsquadsの感想・評価

4.1

このレビューはネタバレを含みます

20221015 自分用忘備録
他人の不幸をわがことのように感じ、なんとかしたいと悶える心性の持ち主のことを「悶え神さん」と呼ぶそうだ。

水俣の土地の言葉だそうで、後半部で患者さんが語っていたので大略を引く。

「心配してくれる人のこと、立ち上がることもできないほど打ちのめされているときに、撫でてもらって、背中を、魂を、撫でてもらって、それを何と言ったかな、名前がついてる。ああ「悶え神」思い出しました。」

医師たち、弁護士たち、さまざまな悶え神さんたちが登場してくる。もちろん、現実の苦痛に悶える患者さんたちも無数に登場している。みんな悶えている。長い長い時間、悶え続けている。

そういう群像の呻きを、6時間10分という無茶な尺で映し撮った悶え神さんも1人いて、それが原一男監督というね。長さを感じなかったのは、人々の呻きの総量、悶えてきた時間の永さを自然に感じ取ってしまうからかな。

圧倒されました。
6時間の長編だが全く退屈しない。

「ゆきゆきて、神軍」は奥崎のキャラに依っているところも大きいのだが、こちらの登場人物たちは常識人。だがじっくり向き合っていくと、底知れぬ面白さがひとりひとりにあることを知らされる。たとえば献身的な二人の医師は、結構変人。

障碍者を笑いものにするギリギリの線を、どうでもいいように思える話題でしつこく攻めるインタビューは、それによって彼らの思いや社会の差別が深く伝わってくる。作品が長いことには意味があった。やらせ問題や天皇のことなど、脇筋的な場面も考えさせられることは深かった。天下国家のことは語らず、水俣を徹底的に撮り、それによって天下国家を描いている。

ナレーションはなく、テロップも必要最小限しかない。監督の考えの押し付けではなく(誘導しているとはいえるが)、各人に考えさせるドキュメンタリーだ。
0

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このレビューはネタバレを含みます

風 22才の別れ
石牟礼道子の苦艾浄土を読みなおしたい


人生で特別すきな映画と出逢ったら3回みる!という話をする原監督かわいかった。このひとが撮った映画なんだな〜というのがよくわかる映画で、こんなによくわかるんだな!とおもいました。
ら

らの感想・評価

5.0
原一夫は、ジャーナリズムの神がこの世に使わせた天使かもしれん。凄まじい反骨精神と執着。平伏すしかない。凄過ぎる。
やっと観られた、瞬く間の6時間12分。寧ろ途中休憩は要らなかったかも、は流石に過言ですが、この長さだからこそ描ける群像悲喜交交、正に曼荼羅。個人的ハイライトは第3部。泥酔二宮医師の咽び泣きながらのあの言葉、メモを奪われた役人の狼狽しながらのあの返しが特に忘れ難い。
上映後の原一男監督の舞台挨拶はさながら「第4部」の様相な、サービス精神満載のトークショーで。とても御年77歳とは思えない、凄まじいエネルギーを間近に感じることができて、それから大変丁寧なサインも頂くことができて、非常に光栄でございました。次回作の完成を楽しみに待ちます。
くむ

くむの感想・評価

4.4
点数つけていい映画じゃない気がした。
この映画を、撮られた時代に観ることができて嬉しく思う。

字幕が欲しいなという場面は多々あった。(字を追わない分、皆さんの表情に注目できたのはよかったけど……)

6時間頭回しっぱなしで画面にかじりつく、凄い体験だった。具体的な内容については、あまり書けない……これからじっくり咀嚼したい。
obutan

obutanの感想・評価

4.6
原監督がいよいよ水俣を撮った!
現地での上映会でようやく見ることができました!

実際に映画を見てみると、もう6時間なんて!と思うほどあっという間。
いや、むしろ水俣病発生から60余年闘い続けてきた人々の人生を思うと、6時間じゃそりゃ足りない。

どうしてこんなにも長い間、彼ら、彼女らは闘わざるを得なかったのか。

この映画を見て、恥ずかしながら初めて浴野先生や二宮先生の研究を知ったのだけど、そうして病像の究明に真摯に取り組む人々がいるにも関わらず、過去の過ちを認めることがどうしてもできない類の組織(学界や行政)の無益な意地のせいで、病気だけでなく闘いでも疲弊させられてしまうなんてと、やり場のない怒りが噴き出す。

それでもなお怒りを持ち続けられるのは、奪われたのだという(正しき)「被害者意識」の存在だったのでは。
海で魚をとること、みかんを育てること、火を焚くこと、船を修繕すること、ふるさとの景色を眺めること、自分の足で外に出ること、恋をすること。
映画に登場する方々の生活の一つ一つの場面が、決して誰かに奪われてはいけない尊いものなのだと、教えてくれているようでした。しのぶさんの恋の話、生駒さんが船を塗装する姿、佐藤さんが海から太刀魚を引き揚げる姿、溝口裁判勝利後の二宮先生の涙。人を人たらしめるのは、その時々に生じる心の動き=感情で、それを奪われることがどれほど恐ろしく、むごいことなのか。不知火海から遠く離れたビルの中で、但し書きばかり書類に書いているときっとそのむごさも感じられなくなってしまうのだろう。

今は亡き石牟礼さんという悶え神の言葉。「あきらめ」とは異なり、「許し」とは深い深い怒りの果てに宿るもので、そこにたどり着くには、上に向かうのではなく、底へ底へと潜らなくてはいけない。

私たちが自然から離れ、まるで1人で生まれ、生きてきたかのように振る舞うことははこの世界に闇を生み出す。
それでもその深い業を引き受けた患者さんたちの姿は、そして不知火海は、どう見たってこの世界における唯一の光みたいに見えるじゃないか。

正しい怒りを忘れてしまった私たちはその光からとても遠くにいるのだと痛感させられて、苦しい。

だからこそ水俣を撮ることは、とても勇気のいることだったと思う。でも、原監督の撮るこれからの水俣をまた観たいと強く思った!
水俣の近くで育ちました。流されない、おかしいものはおかしいと言える人間でありたい。
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