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シャザム!~神々の怒り〜のEPATAYのレビュー・感想・評価

シャザム!~神々の怒り〜(2023年製作の映画)
3.8
アメコミヒーロー映画を観て久々に感じたこの気持ち。軽妙でかつポップな雰囲気はそのままに、前作よりもパワーアップしたみんな笑顔になれる作品だった。

冒頭の人命救助シーンの楽しさなんて「そうだよ!これだよこれ!」と興奮したし、クリーチャーの造形もよく、世界を救うって案外これくらいライトなことなのかもねという後半のある展開なども良かった。

ただ、物語面はけっこうチグハグだったと思う。

まず主人公がビリーなのかフレディなのかがよくわからない。話のテーマ的には家族を失うのが怖いから兄弟を束縛するビリーの真の成長譚なんだけど、実際に展開するのは友達が自分の道を進んでいくことへの不安をどう受け止めるかみたいな話になっている。

作品的には後者のほうが正解だと思うが、どちらにせよ設定したテーマと展開する話運びにズレがあるのだ。

前者ベースでいきたいなら、ビリーをもっと大人らしくして、他のメンバーが彼の言うことを聞かないせいで街がめちゃめちゃになっちゃって“フィラデルフィアの恥”と呼ばれるという部分を軸で進めるべき。

後者ならやっぱりビリーを軸にして、自分たちの道を進み始める兄弟に対する焦燥感を描いたほうがスッキリまとまる。

そもそもにビリーに前作で成長した姿をあまり感じられないのが痛い。吹替版の演出のせいなのかもしれないけど、15歳のときと17歳のときで同じ感じなのはどうなのか。どっちも子どもだけど、15歳の子どもっぽさともうすぐで18歳になる人の子どもっぽさって全然違うと思うんだが......

しかも返信前はちょっと大人になった感があるのに、シャザムになったら急にガキっぽくなるのも見ていて違和感がすごい。

話を戻すけど、軸を「別々の道を進みゆく兄弟(友達)」への焦燥感をどう受け止めて自分も進んでいくかというところにして展開していけば、アトラスの娘側のエピソードとも自然に接続していくし、真のヒーローとは?というところにも繋がってくるのに。

ここの軸が定まっているんなら主人公をフレディにしたってなんの問題もなくて、別に相変わらず馬鹿やってる二人だけど転校生に恋をしたことで......という話運びでもいいわけである。

そういうところがすごく勿体ないなと思った。



それから、描写的にけっこう際どいなと思う部分が2点あった。

まず、カミングアウトを笑いのポイントに設定していること。ゲイであることを笑いのポイントにしているところがちょっとどうなのとは思う。

ただ、その直後に「うん、知ってた」と両親が言う当たり、昨今の「マイノリティのキャラを出すなら意味を持たせろ」論に反発する描写とも捉えられる。

2つ目が、アトラスの娘の3姉妹に関して。
この3人の構図って、完全に“フェミニズム”を巡る最近の特徴と一致していて、長女は奪われたものを取り返して安寧を手に入れようとする者
人、三女はその先で共存を図ろうとする人、そして次女は傷つけることが目的になってしまっている人になっている。

そこに対して、次女のやろうとしていることは自分たちが遂行しようとしている使命ではない!ときっぱり告げるのが後半の裏切りの展開なんだけど、これってまさにフェミニズムの面を被って分断を図ろうとする人に対して「それはフェミニズムじゃない!」と言うのと同じなのである。

なんだけど、ここにも先述した物語のチグハグさが影響している。結局問題の根本ってその他大勢の言動で、本質を見ないで叩いたり誉めたりするから事態はどんどん悪い方向になっていくわけでそれがビリーたちのヒーロー活動を巡るあれこれなわけだよね。

それはビリーたちも3姉妹側も同じで、なんだけどフレディとアンテアだけはお互いに個人の内面を見ることができていた、だから共存の足がかりを見つけることができたという展開なのである。

だから例えば「力を失ったアンテア」をクリーチャーじゃなくて“人間”から、「力を失ったフレディ」が守るという構図があったら非常に綺麗に全ての線がクライマックスに向けて収束していくのではないか。

なんだけど、そういうのがないからただ馬鹿にしているようにも捉えられてしまう。

だし、ザッカリー・リーヴァイの例の件よ。

あれを受けてこのどっちとも捉えられるような表現だとやっぱり不安が勝ってしまう。

個人的には考えに考えた上で肯定的なメッセージだと捉えたけどそもそもそういうノイズは邪魔なだけだからザッカリーなにしてくれてんだよという気持ちで一杯である。
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