強い

無聲 The Silent Forestの強いのレビュー・感想・評価

無聲 The Silent Forest(2020年製作の映画)
4.0
「一緒に私をいじめていいよ」

助けて、の一言を音に出せない悔しさ。
被害者の痛みを“汚名”だと言いのけ、聴こえる大人が、見える大人が、救えるはずの大人達の歪みと看過が無垢に手垢をつけていく。

聾学校への転校生であるチャンは、自分と同じ環境にある仲間が沢山いるのだと期待に胸を膨らませていた。が、喜びも束の間、そこでは地獄のような日常が待っている。
上手く声を上げられず叫んだところで誰にも届かない無音の世界では、性の区別も年齢の差も無関係の性暴力が横行していた。
チャンが初めて心を開いた友人ベイベイは、ボロボロになるまで被害にあっても、尚、加害者達と笑っていた。耐えることが彼女の“生きていく術”だった。

チャンは正義に訴えては見るものの、それがバレれば次のターゲットにされるだけ。
掛橋として唯一の光である教師が立ち上がり子どもたちに聞き取りをすれば、出るわ出るわ許されざる事案。見て見ぬふりの無法地帯では、被害者は加害者へ転じるか、全て諦め無理矢理に納得するしか無い。身体を犠牲にする事でしか心を守れなかった。

聾唖者の言い分をまともに受け入れてもらえない、というのは冒頭のスリ事件からも理解させられるが、そんな社会の風潮をギュッと濃縮した諦観と悪用と開き直りの地獄のユートピア。
最初から最後まで胸が痛くて悍ましくて、これは映画として一体どんな形でまとまるのだろうと思っていたが、予想していた数倍は最悪のラストシーンとタイトルバック。

ああ、何一つ変わらない。
恨みは連鎖する。

しかし、もしも、もっと早くに救われたならばこんな事は起きなかったのだろうか。
分からない。
悪事に手を染める人間が全員健常者とも限らず、先天的だろうが後天的だろうが、その環境を悪用する悪人は存在する。最悪なことに、自身の障害や周りの環境を上手く使う輩は居るだろう。これは障害者への差別じゃない、悪人への批難だ。
だから、管理ができる大人が近くにいなければいけなかった。救いと教育を与えられる大人が、傍で五感をフルに働かせてなければいけなかった。じゃあその為に必要なのは、なんだろう。金か、人か、意識か。

アート映画ではなく、ファンタジーでもない。
ドキュメンタリーのようにも見える。酷く虚しく、視聴を終えてしばらく経ってもまだ悔しい。悔しい。 
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