もの語りたがり屋

川っぺりムコリッタのもの語りたがり屋のレビュー・感想・評価

川っぺりムコリッタ(2021年製作の映画)
4.2
よだれと温かい感情が溢れ出る映画

ミニマルライフを心がける人はもちろん、(誤解を恐れず言うが)生きる意義を見い出せず死にたいと思っている人にこそ観てほしい映画。劇中にも登場する「いのちの電話」と同じく…かそれ以上に救いになると思う。映画、物語の力とはこういうときにこそ真価を発揮する。

でも決して「踏ん張れ」とか「生きろ」と北風のように鼓舞するのではなく、“生”よりも“死”を描くことによって優しく寄り添い「生の実感」をじんわりと起こさせてくれる。
人が死ぬ作品がうける世の中で、敢えて死んだ人や死後の世界をテーマにしたと自称天邪鬼の監督が言っていた。

最初から最後まで心地よいペースでのどかに進み、要所要所で劇場が笑いに包まれる緩急が上手い。
それを引き立たせているのがムロツヨシの存在。彼の作り出す空気感はさすがで一気に場を温める。登場するとまた何かやってくれるのではないかと観客が待ち構え、期待通りに笑いを生み出してくれる。

そして荻上監督の真骨頂である食事のシーンはシズル感がたまらない。ただそれは単純に食べものを映えさせるということではなく、それを囲む人たちの関わりで表現する。
美味しいとは何を食べるかよりも、誰と食べるかだし、どんな状況で食べるかが重要。お腹が減っている状態でありつけるただの一杯の白いご飯の至福さと言ったら。一汁一菜でご飯に合うお供があるだけで幸せ。これだけで日本に生まれて良かったと感じさせられる。そして畑で体を動かし汗を流して野菜を育てて、それを採れたてで食べることの贅沢さよ。
この映画を観た後は(塩辛…はある場面から好みが分かれそうだが苦笑)ご飯にお供を乗せたものを頬張り、きゅうり一本を丸かじりしたくなること必至だろう。

生きるうえで本当に大切なもの・こととは何かを改めて考えさせてくれる。
ただ生きて、誰かのために毎日働き、それで得たもので食べて暮らしていける。その普通がいかに尊いか。
それだけで幸せなのに人は満たされると次の欲求が生まれてしまうもの。マズローの五段階欲求で最低限の生理的と安全が保たれると、社会的な人のつながりを求め、そうするとどうしてもその中で認められたいという承認欲求が生まれ、その地位を得られると自己実現への高みを目指してしまう。
でも満たされた現代において高尚な快楽を求めるのも、せっかく生きている醍醐味として否定できるものではない。
行き過ぎた資本主義の貨幣経済に対しては思うところがあるが、とにかくいつ死ぬか分からない限りある人生どう楽しみ尽くすのかを前向きに考えていたいものである。

また人の死生観についても語り合いたくなる作品。
植物や動物は死んだらそのまま微生物に分解され土に戻っていく。ペットなどの動物もそのまま埋葬するのになぜ人間は生態系の循環から切り離し、わざわざ無駄なエネルギーを使って火葬するのか。体や骨をそのまま遺棄したら犯罪になるのに、海に散骨などよく聞くが粉状にして撒けば罪にならないというのが法律だと初めて知った。
お金と時間と場所を使うお葬式もお墓も何の意味があるのか。(仏や霊を信じるか信じないかはあなた次第だが)故人の供養というが残った人の慰めのためなのであろう。

目だけしか出てこない江口のりこや声だけの薬師丸ひろ子など贅沢でもったいないほどのキャスティング。それほどまでに関わりたくなる荻上監督作品の魅力か。
試写会のティーチインで初めて拝見し話を聴いたが、まさに映画のようなハートウォーミングでユーモラスな方で一気に好きになった。

最後に、牛乳や塩辛の壺など伏線が絶妙。