私が心から映画を好きだと感じるのは、自分自身の願いとキャラクターの願いが一致する瞬間だ。
そして、その際の演出が美しければ美しいほど強く感動する。
秀逸なストーリーテリング、見惚れるような演技、迫力のアクション、観賞後の考察や語り合いの楽しみもあるが、あの高揚感に勝るものは無い。
その願いは映画によって様々で、恋の成就だったり、悪を成敗することだったり、時には世界をぶっ壊すことだったりする。
別にその感情移入の対象が主人公である必要はないし、敵役でも脇役でもいい。
もし映画の中に自分を見出したのなら、その人はもう何でもできるし、誰にでもなれる。
だからこそ、映画の内容そのものと同等に観る側の人となりが体験に強く影響する。
ところでキャラクターが存在するのは小説でも演劇でも同様なのだが、映画だけの特徴が「撮影と編集」というプロセスだ。
撮影は観客にどの立場から何をどう見せるかを選択することができるし、役者だけでなく風景や小物を強調する事もできる。
編集では音と映像を自由に切り貼りして話の流れを制御し、スローや特殊効果の演出で一瞬を永遠のように見せることができる。時の流れや物理法則を無視することだって容易い。
だから映画は作者の頭の中をより正確に、より強いインパクトで観客に伝えることができる媒体なのだ。
こうした映画の持つ言葉で説明する以上の雄弁さも、制作に当たっての苦労も、その作品が受け入れられる喜びも、ポンポさんは作中で証明している。
こんなにも熱い映画へのラブレターだとは思わなかった。
これだから映画はやめられない。