ナガエ

トゥルーノースのナガエのレビュー・感想・評価

トゥルーノース(2020年製作の映画)
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これが現実か。

我々は、凄い世界と地続きに生きている。


先に書いておく。僕は、この物語が「実話」かどうか分からない。公式HPも見たが、はっきりとは書かれていない。実名かどうかはともかく、ヨハンという人物がいたのか、ミヒという人物がいたのか、インスという人物がいたのか、それは分からない。

分からないが、僕はそれでもこの物語を「実話」と扱う。この映画で描かれた個人が、実在する個人に帰着しないのだとしても、それでもこの映画で描かれているのは「実話」なのだと思う。


物語を説明するのは簡単だ。「北朝鮮の政治犯強制収容所から脱出し、アメリカに亡命を果たした人物の物語」である。本作は、それ以上でもそれ以下でもない。

しかしこの映画で描かれる現実は、全然「簡単」じゃない。理解することも、解決することも困難で、許容することなど絶対にできない。

そして、そういう現実を、今も実際に生き抜いている人たちがいる。

収容所の現実は、人間とはここまで醜悪になれるのかという場面に溢れている。看守たちは、囚人に厳しい労働を押し付けながら、自分たちは南朝鮮のアイドルの映像を見て、気に入った囚人を見繕っては犯す。看守のレイプによって子どもを身ごもってしまったら、女性が射殺される。

囚人の中にも、囚人を管理する側に回る人間がいる。彼らは、同じ存在であるはずの囚人を殴り、自分たちは平然とタバコを吸っている。自分の身を守るために他人を密告し、他人の状況なんかに構っていられるかという態度を取る。

なかなかにクソみたいな連中だ。

しかし。僕は、ここで思考を止めてはいけないと思っている。

自分がもし、何らかの立場であの収容所にいたとして、絶対に自分はそういう振る舞いをしないと断言できるか?

分からない。

もし自分が看守なら、看守としての自分の立場を守るために、他人を蹴落とすことを平然と行うかもしれない。もし自分が囚人なら、管理側に回ろうと他人の足を引っ張るかもしれない。

それは分からない。

それぐらい、絶望的な環境に彼らはいる。

彼らは、労働によってのみその罪が贖えると言われる。ただただ労働をさせられる。病気になっても薬はない。食事は最低限しか与えられない。死ねば、遺体をその辺に放り投げて終了だ。

労働中に、がけ崩れが起こる。管理側にいる囚人が収容所のトップに「危険だから修繕した方がいい」と言っていたのだが、まったく聞く耳を持たなかった。そのために、甚大な被害が起こる。多くの人が土砂に埋もれ、助けを求めている。

その状況で、収容所のトップが車でやってくる。少しでも仲間を助けようと奮闘する囚人たちに向かって彼は、「持ち場に戻れ」と一喝する。

どうせお前たちは使い捨てなんだ、と。

歯向かう者は撃たれ、脱獄しようとする者も撃たれる。

彼らはずっと、そんな環境にいる。そんな状況で、他人に優しくできないとして、誰が責めることができるだろうか。

だからこそ、思う。そういう環境においてなお、他人を思いやり、自分だけのために行動しない振る舞いができる人間は、どれほど素晴らしいか、と。

この映画のような環境には決して置かれたくないが、もし仮にそうなったとして僕は、それでも周囲の人間に優しくいられる人でありたい。

そう強く感じた。

僅かな食料を他人に分け与える。死にゆく者を見捨てず安らかに見送る。辛い時にはお互いに支え合う。

この映画では、そんな優しさも描かれる。環境があまりにも辛すぎるから、その優しさが強く映える。

世界の現実について知る度に、いつも思う。知ることしかできない自分の無力さを嘆くな、と。「結局自分には何もできないから」と無力感を覚えて、結局知ることさえ止めてしまえば、世の中はもっと酷くなる。

とりあえず、「知る」だけで十分だと、僕は思うようにしている。

映画の中では、「夕焼け小焼け」が流れる。ヨハン一家は、日系家族だ。

我々は、決して無関係ではない。

内容に入ろうと思います。
平壌でこれと言って不自由のない、恐らく一般の北朝鮮人よりも豊かな暮らしをしていたヨハン。妹のミヒと、両親の4人で暮らしている。日系人である父は、国家や党に逆らうなんらかの計画を押し進めているのだが、そんなことはヨハンの知るところではない。
しばらくして、父がいなくなった。母も、行方が分からないという。そこに突如、党の人間が大挙し、父が国家と党を裏切る行為を行ったと通告、家宅捜索が始まった。3人は、最低限の荷物だけ持ち、トラックに乗せられる。
着いたのが、政治犯とその家族を収容する強制収容所だ。幼いヨハンはしかし、父の言葉を守り、母と妹を守る決意をするが…。
というような話です。

とにかく、観た方がいい。この映画で描かれていることが、我々が生きる世界と地続きにある。それは、凄まじいことだと思う。

「北朝鮮の現実を知る」という意味でももちろん観た方がいいが、物語としてもとても良い。内容は、非常にドラマティックに仕上がっているので、恐らくフィクションだろう。しかし、膨大な取材の上に成り立つほぼ実話だと僕は考えている。様々な脱北者たちの証言を繋ぎ合わせて生み出された物語だろう。映画の最後には、そんな勇気ある証言をした脱北者の名前が表示され、また、名前を出せない他の脱北者の勇敢さも讃えていた。

また、僕はこの物語を他人事としては捉えなかった。僕たちはとても運の良い時代を生きているだけで、同じ状況を生きざるを得なかった可能性はあったし、これからもゼロとは言えない。

戦時中や戦後しばらくは、この映画で描かれる強制収容所のような世界は、様々なところに散見されただろう。塗炭の苦しみを味わって生還を果たした人で、まだご存命の方もいるかもしれない。これからまた、世界大戦が起こる可能性だってあるだろう。そうなれば、自分たちが看守、あるいは囚人として、この映画に描かれるような状況を経験せざるを得なくなるかもしれない。

その時、人間としてどんな振る舞いができるか。

世界はSOSを受け取った。僕たちは、どんな返事を返してあげられるだろうか?
ナガエ

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