なにかしらのメディアから伝え聞いたことのある北朝鮮体制の負の部分。
北朝鮮には我々の価値観からみた「負」しかないのか、それとも北朝鮮国民の価値観からみたユートピアが存在しているのか。
真実と事実が一致するかを確かめる術はなし。
どっしり重い。劇中で起こることはもちろん、それ以上にこういった発信をしても根本的な解決には至らないことが嫌というほどわかってしまっているということがなんとも虚しい。
時間以外に有効な手段は存在しない。
個人としても国家としてもできることはあまり多くない。。。
2500万人以上いる北朝鮮市民はどう感じて生きているんだろう。
ルールを逸脱すれば収容所行きになる恐怖を身近に感じていたなら、行動を起こすリスクを十分すぎるほど理解していたなら、我々とは自由や平穏の感覚が大きく異なっているのかもしれない。
もしくは、物質的な豊かさ、消費に先立つ偉大な精神を持ち合わせているのかもしれない。
我々の想像の及ばない何かスペシャルなものがあるのかもしれない。
または、何か画期的な信仰と対象があるのかもしれない。
と、この映画を見終えた直後には眉間にシワ寄せて考えたフリをきめこむけれど、そこをピークに徐々に脳内のこの問題への関心の濃度は薄まっていき、次の日には夜食べるトンカツの美味しそうな店をスマホで検索していて、脳内からこのことはきれいさっぱり消えてしまっているんです。
そういうものなんです。
だってどうしようもないんだもの。
つまるところ多様性は不干渉。